世界の果てで

世界の果てまでイッテQ! 秋の珍獣祭り2010』3時間スペシャルでは、前宣伝として、「お祭り男・宮川がスペインのトマト祭り&ベルギーの竹馬祭りに参戦」とあり、「"世界一盛り上がるのは何祭り?"では、宮川がスペインのトマト祭りで1時間ひたすらトマトを投げまくるほか、竹馬に乗って……」と紹介してあった。


「宮川がトマト祭りで1時間ひたすらトマトを投げまくる」!――まあ、そういうことになるだろうと番組を見る前から期待した人は多いと思うが、たまたま番組をみていた私は愕然とした。あいた口がふさがらないどころか、なんだか不快になってきた。


と書くと、つぶれて液体のしずくのかたまりとなったトマトの臭いとか、大量の人々がもみあう体臭とか、トマトの赤い果肉がもたらす壮絶なカオス的色彩の乱舞とか、そうしたものをリアルに想像したり目撃するわけであり、食べ物の無駄使いという道徳的な違和感も手伝って、私が、不快になったと思われるかもしれないが、そういうことでは、全くない。


「宮川がトマト祭りで1時間ひたすらトマトを投げまくる」!――冗談じゃない。トマトなど一個も来ない。宮川たちが待っている市役所通りというところには、大量のトマトを積んだトラックは、結局最後まで、1台も来ないのだ。宮川も市役所通りを埋め尽くした群集も、1時間かそこら、ただ立ち尽。


群集で身動きがとれず、その場から一歩も移動できない宮川一行に責任はないし。番組にも責任はない。ただ「宮川がトマト祭りで1時間ひたすらトマトを投げまくる」と嘘の宣伝をした関係者は、恥じ入って、自分の舌を噛み切って死ねとはいってやりたいだけだ*1


ではどこに不快感をいだいといえば、祭りの主催者のバカさ加減というか不手際そのものに対してである。別の通りには、トラックが大量のトマトを運び込んでいて、トマト祭りが盛り上がっている。しかし追加のトラックは、同じ場所で、止まって、そこにトマトを投棄するだけで、宮川を含む多くの人たちが待っている市役所通りは、行こうともしない。最後にやってきて盛り上がるのかと思ったら、最後の一台も別の通りで、何事もなかったかのように、同じ地点で大量のトマトを投棄して、それで終わり。その場所は、つぶれたトマトの果汁で洪水のようになっているのに、宮川たちが待っている市役所通りには、トマトの影もない。


結局、まんべんなくいろいろなとこにトマトを運ぶべきなのにできなかった主催者側の不手際だけが目立ったことになったのだが、まあトマト祭りのトマトだから、そんなに目くじらをたてることもないとしても、これが緊急の救援物資だったらどうなるのだろう。必要とされている人のところには、届くことなく、同じ一箇所だけに、大量に送り込まれて、あまって捨てるしかなくなるというような、不手際では済まされない、失策いや、殺人行為が、いまなお世界で平然と行われているにちがいなからだ。


もちろん、今回のトマト祭りの主催者にしても、いいぶんはあろう。たぶん、ここまでのひどい不手際は日本の祭りではありえず、スペイン人の無策と無神経のゆえだろうとは思うのだが(怒りにかられて民族差別発言をしてしまったが)、困難とはいえ、仕分けと仕切りをきちんとしないと、不正がまかりとおり、助かる人も助からないまま、多くの人が命を落としつづけるだろう。


今回のトマト祭りの失敗をみながら、私が不快になったのは、まさにこうしたリアルな世界のありさまを、それが思い起こさせてくれたからにほかならない。

*1:なおこちらも嘘のことを書いたと批判されかねないために、1時間のあいだ宮川が一個もトマトを手にしなかったわけではないことを書いておく。トマトがまったく来ないので、かわいそうに思った周辺住民が、通りの両側の家のヴェランダや屋上から、家の冷蔵庫にあったトマトをいくつか投げ入れることがあった。広い通を埋め尽くした大群集なので、そんなわずかなトマトが救いになるわけでもないのだが、たまたまそのうちのひとつが、宮川のすぐ前に立っていたスペイン人の頭か肩にあたってつぶれた。宮川がそれを手にとって、トマトや、トマトやと叫んで、前のほうに投げ返した。それが番組で宮川が握った、唯一のトマト(しかも最初からつぶれている)であった。