B47

文林堂の世界の傑作機シリーズは、新シリーズとなってからは、めったに買うこともなくなったのだが(とはいえロシア機のものは珍しいこともあって、たいてい購入しているが)、いま店頭に『ボーイングB47ストラトジェット』(No.142)(2011年1月1日発行とある)が出ていて、思わず手にとって、購入してしまった。


この号のあとがきにも書いてあったが、『戦略空軍命令』に登場するB47は、きわめて印象的だった。アンソニー・マン監督、ジェイムズ・スチュアート主演の空軍宣伝映画(1955年)。原題はStrategic Air Comannd「戦略空軍、戦略航空軍団」という、味も素っ気もないタイトルなのだが、日本でCommandを「命令」と誤訳したことをWikipediaで知った。『戦略空軍命令』となって、逆に味のあるタイトルになったのは皮肉である。


映画はジェイムズ・スチュアート扮する野球選手が、戦後、乞われて戦略空軍に入り、除隊するまで、そこで訓練をこなし幾多の任務を遂行するという物語。ポスターなどでは、野球のユニフォーム姿のジェイムズ・スチュアートの頭上を巨大なB36爆撃機がコントレールをひいて飛んでいた。


前半は、B29を二まわりくらい大きくしたコンヴェアB36爆撃機での任務。このB36が6発ターボプロップエンジンと2発の補助的ジェットエンジンで、高空を飛ぶ姿は、それだけで見るものを圧倒する迫力があったが、後半は、このプロペラ機の究極の姿でもあるようなB36から、優雅なジェット爆撃B47が主役となる――そう、この映画の主役はジェイムズ・スチュアートではなく、爆撃機なのだ。


後半のクライマックスは、ジェイムズ・スチュアートが、このB47でアメリカ本土から沖縄まで無着陸(横田基地に着陸していたかもしれないが)で太平洋を横断飛行するというもので、戦略爆撃機のアジア方面への展開能力を見せ付けると同時に、物語では、B36搭乗時に負傷した首のせいで、ジェイムズ・スチュアートが操縦が困難に陥るという危機的状況を出来させ、見ている者の興味をつないでいた。


このB47は、巨人機B36の対極にある高性能ジェット爆撃機で、将軍が主人公に、格納庫にある最新鋭のこのジェット爆撃機をみせるシーンは、主人公でなくとも息をのむような、この機体の美しさを強調し、鋭い緊迫感すらあったことを覚えている。この映画のDVDが出ていないというのは残念だ。私はテレビでのこの映画を二回か三回は見ている。


と同時にB47については、たんに映画だけではなく、アメリカのテレビ番組でもよく見ていた。むかしアメリカ空軍が作ったか、全面的に協力したのかわからないが『フライト』という30分一話完結のアメリカ航空関係のドラマがあって*1、そこでもB47はよく登場した。とりわけ3人で運行するB47は、タンデムで並んでいる操縦士と副操縦士に、航空士/爆撃士が、航行中に、コーヒーなどをもってゆくのだが、座っている操縦士の腰のあたりに、ナヴィゲーターの頭が出てきて、つぎにおもむろにコーヒーカップを渡す場面などみながら、いったいこの機体の内部構造は、どうなっているのかと子供の頃、不思議に思ったことがある。


いまでは絶版だろうか、ハセガワから72分の1のスケールモデルが出ていた。古い製品なので、現在の目からみたら、物足らないかもしれないが、大きくて、部品も少なく作りやすそうだから、ディテールにこだわらなければ、あっという間に形になり、それに銀塗装するして、天井からぶら下げる(という昔懐かしい、プラモデルの飾り方)と、さぞかし楽しいのではないかと思う。


B47は、シンプルだけれども、なんともいえない美しさをもっている優雅な航空機で、迷彩塗装に身を包むことなのないそのシルヴァーメタルの巨体(B29と同サイズ)は、カラー図版でみるよりも、モノクロ図版でみるほうが見栄えがする。刀鍛冶がつくった、類希な、もう芸術品の域に達しているようなフォルムを誇る名刀、それこそが、兵器としてのB47を語るときにふさわしい比喩であろう。しかも、この名刀は、一度も人を切ったことのないまま、芸術品としての美しさだけを今に伝えているのだ。そう、爆撃機B47は一度も爆弾を投下しなかった。アメリカ空軍に愛する者を殺され恨みを持つものは世界中に数え切れないほどいるだろうが、その怒りも怨念も、このB47だけには向いていないのである。そういう意味でも稀代の名機であった。

*1:空軍ものだけあって、第二次世界大戦もの、朝鮮戦争もの、冷戦期つまり同時代ものと、三つの時代を背景にした実話にもとづくようなドラマを一話完結で放送していた。私は朝鮮戦争ものが一番嫌いだったが。