マイケル・カニンガム講演会


作家のマイケル・カニンガムが現在、来日中。昨日、東京大学で行った講演を聞きには行かなかった。だから、なにも書くことはない。


ただ、これまで三作が翻訳されているのだが、カニンガムがゲイ作家として、それにふさわしく扱われているのは、『この世の果ての家』だけであり、他の二作については、カニンガムがゲイ作家であることは認められていても、その作品はゲイ・フィクションではなくて、「普遍的な」広がりをもつもの点が確認されてはじめて評価されているにすぎない。


結局、東大での講演も、講演タイトルから判断すると(中身はどうであれ)、カニンガムは現代アメリカの作家ということはわかっても、ゲイ作家とはわからないようになっている。まあたとえ講演の中身がゲイ的なものと関係するかもしれないものの、そうしたプロモーションの仕方に反対する意味もこめて、わざわざ、その時間帯にある私の授業をつぶしてまで聞きに行く必要はないと考えた。まあ私の授業に出席している学生も、アメリカ文学が専門の学生はいないし、聞きに行きたければ勝手に行けばいいのだし。


ということで授業では、エリザベス朝におけるムーア人表象・異民族表象の問題を考え、またクレオパトラが、一応、エジプト人とはまじわらないマケドニア系の征服王朝に属するといわれているが、それはおそらく神話にすぎないのではないかということを問題にしなければという考えつつ終了時間を迎えた。シェイクスピアの『オセロ』を起点としての「ジャングル・フィーヴァー」を考える授業となっている。


ただし、おりしもその頃、講演会のあとの質疑応答では、竹村和子氏が、カニンガムに対して、「あきらかにレズビアン・フィクションとして読めるあなたの小説が、日本では、そのように受容されてこなかった」というコメントをされたらしい。人から聞いた話なので、違っているかもしれないが。人から聞いた話が正確だとすれば、竹村氏に拍手喝采を送りたい。それこそ、私がかねがね疑問に思っていたことだし、絶対に問題にしなければ、このようなホモフォビアはいつまでもたっても終わる気配さえないのだから。絶対に必要なexcitable speech(ちょっと意味は違うか)だった。