動体視力

Y田 さま
先日は、ひさしぶりにお会いすることができ、
研究室で時間的制約のあるなかで
すこし話しただけでしたが、
有意義な時間をすごすことができました。


そのなかで触れられていた映画『父親たちの星条旗』、
私もようやく観て来ました。
たまたま買ったプログラムには
蓮実重彦が一文を寄せていて、
クリント・イーストウッドを高く評価しているのだなと、
再認識したと同時に、いまなおこんなレトリック
をあきもせず駆使しているのかと、
映画を観る前からかなり不愉快になって
映画館を出てしまおうかと思ったのですが、
それを本気で実行しようとする前に
映画ははじまっていました。


映画そのものはよくできていたので
蓮実重彦への反論として、私なりの
感想を、明日以降に
ここに書き記しておこうと思うのですが、
その前に、その映画について話されていたことについて
二、三コメントをさせてください。


当時の軍用機でありながら、女性のピンナップを
機体に描きこんでいなくて、そのあたりに
ジェンダー的な要素を極力排するという映画の姿勢が
よく出ていたという指摘をされて、そういうものかと
感心したのですが、軍用機の機体に女性のヌード像を描くことを
女性なのに良く知っている、
さすがに歴史家だとそこは感銘を受けました。


ただシネコンの大きな画面で見たのですが、
登場する軍用機は画面をさっと横切るだけで、
そこにピンナップが描かれていたかどうか
確かめる時間すらありませんでした。
当時、アメリカの陸軍機は派手なピンナップを描くことが
多かったのですが、海軍機は、規定があったのかどうか
何も知りませんが、そんなに派手ではない。
たとえば、いまのブッシュ大統領の父親の
ジョージ・ブッシュは大戦中
グラマンのTBFアヴェンジャー艦上攻撃機パイロット
だったのですが、搭乗する機体には
奥さんの名前バーバラを小さく白で
書き入れていただけです。
またイラストなども小さく書き入れるだけで
遠くから見たら判別できないものです。
映画のなかにはF4Uコルセアしか出てこないのですが、
私に動体視力がないとはいえ、
その機体には何も描かれてはいないような、
いえそれすらもわからないほど早く飛行機は飛び去るだけです*1


あと硫黄島(これを「イオージマ」と発音した日本人には
「欧米か」と突っ込みを入れてやってください。
アメリカ人なら日本の島はすべて「~ジマ」なのですが、
日本では、これは昔から「いおうとう」と発音してきたのです。
いくら小泉政権時代から日本の経済をアメリカ化する
売国奴たちが暗躍したとはいえ、魂までアメリカに売る必要はない)
に不時着してきたB29が登場するのですが、
兵士たちの頭上を、損傷を受けて煙を吐いて
飛び去る機体にしても、下から見上げているだけで
なにかが描かれていたかどうはみえなかった。


要は、映画のなかに登場する機体に、
意図的に女性のピンナップが描かれないのではなく、
最初からそんなものはなかったということだと思います。
当時のアメリカ海軍機にはピンナップはない。
むしろそれを描いてしまったら歴史的に不正確な再現と
なるのです。


とはいえジェンダー的にホモソーシャルホモセクシュアル
表象を回避しているのではないかという
指摘は興味深いものがありました。



とりわけ主人公(ライアン・フィリップ演ずる衛生兵*2は、
たしかに兵士ではなくて、兵士を助ける側なので、
距離がある。つまり医者一般がそうなのだが、
医療という後方支援的役割の医者・衛生兵は、
戦う男たちを支援する看護師でありまた主婦的存在であり
伝統的なジェンダー観では女性的であるのに対し、
同時に、医療関係者として病める者・傷ついた者たちに
あたえる助言は絶対的命令ともなり
一般人とは異なる超越的次元に属する。
いずれの場合にも衛生兵は兵士たちの集団のなかでは
影に隠れるか浮いているのである。
そのため同士愛あるいは同性愛的感情の圏外にあり、
映画としてもそうした愛を盛り込みにくくなる。


その指摘は、すぐれたものだと思いました。
と同時に、そうした同性愛的感情は、
たしかに排除されているかみえて、
最後に突然あらわれてきます。
回避されているかみえて、
おとしどころは、まさに男たちの同性愛
というところはけっこう感動しました。
ホモフォビア的には、同性愛ではなく
友情だと言い張る者もいるかもしれませんが、
戦争映画の場合、友情と同性愛は
往々にして切り離せなくなります。


同性愛のマイナスのイメージは
あのインディアンの兵士でしょう。
彼は暗黙のうちに同性愛者として描かれています。
アメリカの原住民という位置づけもそうです。
軍隊に残ろうとしたり、酒に溺れて堕落してゆく
姿は、弱い同性愛者のそれです。
しかし、それは、同時に、ともに戦った男たちの
最後の連帯のありか、ある種の救いを暗黙のうちに示す
機能を帯びているのです。


なお主人公は戦闘の最期のほうで脚に銃弾をうけたことが
わかります。また映画の最期に出てくるクレジットシーンでは
当時の写真が左側につぎつぎと映し出され、
いつもはクレジットをけっこう読んでいる私も、
さすがにあのときだけは
クレジットそっちのけで、
左側の写真群に
見入っていましたが、
そのなかでもトルーマン大統領に
会ったとき、衛生兵であった主人公は、
松葉杖をついています。
いっぽう映画は、主人公に最期まで松葉杖を
拒んでいます。
なぜか。それは松葉杖の人物というのは、
同性愛者を連想させるからです。
怪我をした人、身体に障害がある人が
同性愛者だとうことではなく、
ホモフォビックな同性愛表象のなかでは
怪我人や障害者はそうなるのです。
同性愛者性を忌避された主人公ですが、
しかし……


映画の最後に主人公は、当時、
旗を掲げたあと、海で泳いでもいいと上官に言われたことを
突然思い出します。兵士たちは、
砂浜ではしゃいいでいると、
それを観ている主人公の衛生兵も、
ためらいがちながら、靴を脱ぎ始め、
そこの加わるのです。
海の場面で戯れる男たち。
これ以上の同性愛的場面はありません。
まさに定番ともいえる場面設定なのです。
そこだけが唯一の救いの場面になっているのです。

*1:コルセアのなかでも、よくプラモデルにもなる機体にはエンジンカウリングに部隊マークの黒い髑髏の海賊旗を描いているが、それにしてもサイズ的には小さなもので、しかも色からしても地味なもの。

*2:ちなみに日本の辞書では海軍では「衛生下士官」陸軍では「衛生兵」と訳語が違っているのだが、これは日本の事情であって、アメリカでは海軍であろうが陸軍であろうがcoprsmanであって名称の違いはない。そのあたりの事情はどうなっているのだろう。ちなみにcorpsmanは「コーマン」と一見特殊な発音をするのだが、これは海兵隊Marine Corpsを「マリンコー」と発音するのと同様、よく知られている発音だから、ある意味でそんなに特殊ではない。蓮実先生。