Day 1


深夜、窓の外を走る列車、おそらく急行の音を聞きながら、あれは何線だろうかと考えた。東武東上線、あるいは武蔵野線? ぼんやりと浮き上がる天井の幾何学的模様を、そしてカーテンと壁で四方向を仕切られた私の空間を見ながら、改めて深い感慨をいだくことになった。とうとうここに来てしまった……。


子どもの頃、病弱だった私は、天井を見てすごすことが多かった。昼間、熱にうなされながら、何日も寝ていた私にとっての唯一の気晴らしは、天井の模様を、それも和室の板の天井だったことが多いので、地図の等高線のような年輪を宿した天井板を、架空の国の空想地図に見立てることだった。あのなかにミドルアースがあり、アースシーが見えた。


しかしいま確かに天井を見ている私にとって、飽きず天井を見ていた病弱な子どもの頃の記憶はそれほど感銘をあたえることなく消えて、むしろはじめてひとりでイギリスに行ったときの記憶が蘇ってきた。


あのときの状態とは、たとえていうと、日本をはじめて訪れた外国人が、成田空港に降り立ち、東京で一泊したあと、日本の地方都市へ、たとえば松本でも米沢でも気仙沼でも、まあどこでもいいが、そうした地方の町へ、予備知識もなく、下調べもなく、ただ日本語が読めて片言なら話せるだけで、あとは駅で路線を確認し、時刻を調べ、独力で目的地を目指すような、そんな無謀な行為を想像してもらえればわかる。イギリスの列車の時刻表はローカルな駅ではA4の紙一枚に小さく印字された表がホームの壁に貼り付けてあるだけということなどまったく知らずに旅行したのである。


確かに未知の国への旅行と、今回の入院は似ているかもしれない。私の両親と妹は、みんな長期入院の体験があった。むろん私はそのつど病院に足を運んだ。見舞いではなく付き添うために。だから病院というと、なにか私にとっては家族の絆を改めて確認するような、いや、病院こそ、私の家族のトポスであるという思いが強い――私は病室で、死んだ父や母に、帰ってきたよと心の中で報告していた。ただし私自身は、これまで入院経験はない。付き添いとして病院に泊まったことはあっても、一日たりとも入院したことはない。だから今回の経験は未知の国への旅にふさわしい。


だが、それとはちょっと違う。未知の国といっても、こちらで地図を頼りに、ひとつひとつ行き先と辿ってきた道を確かめながら、驚き恐れ呆れながら、航路を逐一確認しながらゆく探検行とは違って、ただもう流されてゆくしかない。たぶんこれでまちがいないようだと恐る恐る乗りこんだ電車に、もうこの電車にまかせて行けるところまで行くしかないような、そして気付くと、もう目的地についていた、とまあそんな経験なのだ。そうあの時は、こんなに何も知らなくて用意もなくて旅をして目的地まで行けるのかと不安でしかたがなかったのだが、なるようにしかならなかった。そう、あれと同じだ。おそらく文明度の高低は関係ないかもしれない。未開の国で、おんぼろバスにゆられながら大丈夫かと思いつつも、気付くと目的に到着している、そんな経験。つまり自転車だろうが、高速鉄道だろうが、十分に交通の網の目が張り巡らされていて、そこに入り込めば、あとはなにもしなくても、目的地まで送り届けてくれるかたち。


だが、それでも違和感を感じた私は、すぐにこれだというアナロジーを発見して、長かった一日に終止符をうつことができる眠りを迎えることになった。私が思い出したのは2月に初旬にみた周防監督の映画『それでもボクはやっていない』だ*1


私は自分のことを加瀬亮だと思っているわけではなく、まあ強いて言えばエドワード・ノートンくらいには思っていて、しかし鏡をみるとそこに映っているのはただのデブで唖然とすることが多いのだが……というくだらない冗談はやめよう。


あわただしい日常を送っていた若いフリーターの男性が、痴漢にまちがわれて逮捕され拘置所ですごす初めての夜。逮捕された瞬間から未知の世界が広がり、常習犯ではない主人公は何もわからぬまま大部屋に押し込まれ、他の常連たちと一夜を過ごす。あれだと思った。私はべつにまちがって、病人でもないのに入院させられた/逮捕されたわけではない。私はれっきとした病人/犯罪者である。前科/入院歴はないが、これまでずっと逮捕を逃れて生きてきた。それがいよいよ逮捕された/入院することになった。今私は大部屋/四人部屋のベッドに寝かされている。寝息をたてている他の犯罪者/患者たち。これまでの日常よ、さらば。これからは拘置所での取調べがはじまる。なにが行なわれるのか、まるでわからない。ただ私は今回は従順な容疑者/患者である。…… To Be Continued

*1:その映画を観た帰り、巡査部長が女性を助けようとして列車に轢かれ最終的に殉職した、不幸な事件に間接的に遭遇したことはすでに書いた。事故のため列車が動かず、タクシーと地下鉄に乗り継ぎ、さんざんなめにあって帰った。