オペレーション・ワルキューレ

トム・クルーズ主演、ブライアン・シンガー監督の『ワルキューレ』が公開間近になってきたが、ヒトラー暗殺未遂事件については、その詳細をはじめて知ったのが『オペレーション・ワルキューレ』というDVDであった。この映画をみておくと、トム・クルーズの映画の理解も深まるかもしれない。ネタバレ? いやヒトラーは暗殺されたわけではないのだから、ヒトラー暗殺事件の結末はわかっているから、重要なのは細部である。


ちなみにこの『オペレーション・ワルキューレ』(Staufenberg もしくはOperation Valkyrie , dir Jo Beir, 2004)は、先に紹介した『謀議』と同じくテレビ映画だが、『謀議』とは違って、ドイツ人によるドイツ語の映画である。


この映画の最初のほうは、シュタウフェンベルク大佐(クラウス・フィリップ・マリア・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク(Claus Philipp Maria Schenk Graf von Stauffenberg, 1907年11月15日 - 1944年7月21日))が、どのようにして暗殺計画に関係するようになったかをエピソードを交えて語るのだが、この部分のシナリオがあまりに稚拙で、かなり引いてしまうことは事実だ。


たとえば北アフリカで、同郷出身の若い兵士と親しく話をしていると(低予算のテレビ映画なので、周囲にはこの二人しかいない)、空襲にあい、その若者が戦死してしまう。その若者の死を嘆き、ヒトラーおまえのせいだというのは、いかがなものか。戦争だから仲間が死ぬのはやむをえない。戦死した仲間のひとりひとりのために、いちいちヒトラーをのろっていてはきりがない。


あるいは暗殺計画に彼を導くことになるトレスコウ少将(『ワルキューレ』ではケネス・ブラナーが演じている役)との関係のなかで、虐待にあったらしい少女が保護される。しかしその少女がユダヤ人なのか、農民の子なのか、よくわからない。とにかくひどいめ(具体的にどんなめかもわからない)にあったらしい。そこでヒトラーが呪われるのであるが、あいまいすぎるというか、ずさんすぎて説得力がない。


とはいえ暗殺実行の朝から、処刑される夜までの物語は、緊迫感があり、目をはなせなくなる。またシュタウフェンベルクが帰還後、航空基地で、いきなりワルキューレ作戦をと叫ぶので、いったいなんのことか、予備知識がないとわからないところもある(私も、予備知識がなかったひとり)。また関係者がかなり多いので、主人公以外に、誰が誰かわからなくなることもある。


しかし、できる限り史実に沿うように映画化しようとしているところがあって、錯綜した事件の全貌を捉えようとする試みに成功している。ワルキューレ作戦が発動され最高司令官になったベック上級大将(『ワルキューレ』ではテレンス・スタンプが演じている)はクーデターが失敗したあと自決用の拳銃を要求して自分の頭を撃ちぬくが一度では死ねなかったことも、おそらく史実どおりなのだろう(『ワルキューレ』ではこのことは描かれていない)。


ドイツ映画なので、あまり知っている俳優はいないのだが、しかしシュタウフェンベルクを演ずるセバスチャン・コッホ(Sebastian Koch (May 31, 1962))は、比較的最近ではヴァーホーヴェンの映画『ブラック・ブック』でもドイツ人将校を演じていた。その他『善き人のためのソナタ』『暗い日曜日』にも出演していたが、コスタ・カヴラス監督の『ホロコースト アドルフ・ヒトラーの洗礼』Amen(2002)に出ていたのは、残念ながら、よく覚えていない。この映画を思い出したのは、この『オペレーション・ワルキューレ』でシュタウフェンベルクの上官でもあったトレスコウを演じているウルリッヒ・トゥクルも、『ホロコースト アドルフ・ヒトラーの洗礼』に出演、いや主演していたからである。コスタ・カヴラスの映画のほうは、ユダヤ人絶滅計画を目撃したドイツ人技師が、カトリックの司祭にうちわけ、司祭は教皇庁ナチスの暴虐を訴えるが聞き入れてもらえない。それどころか教皇庁は、共産主義ユダヤ人と戦うナチスをどちらかというと支援している。戦後、ナチスの残党を南米に逃がしてやるのもカトリック関係者。ホロコースト教皇庁は逆に支援していたことを、暴くカヴラスの映画は鋭い。


映画は銃殺刑時のシュタウフェンベルクにはじまり、最後に暗殺とクーデタ未遂に終わったシュタウフェンベルクの処刑で終わるが、印象的な場面は、その処刑シーンである。彼がドイツの栄光を称え銃殺される瞬間、彼の副官で、ともにヒトラー暗殺に加わったヴェルナー・フォン・ヘフテン中尉が、銃撃体の前に飛び出して、シュタウフェンベルクをかばうようにして撃たれ、自分の上官と運命をともにすることである。


これは映画版『ワルキューレ』でも描かれているが、監督のブライアン・シンガーがゲイであるにもかかわらず、その場面の描き方は淡白でゲイ的欲望、ホモエロティシズムを喚起するものではないが、『オペレーション・ワルキューレ』のほうでは、銃殺される順番が後の中尉が、上官であった大佐といっしょに死のうとしたというように取れることができて、ゲイ的欲望の存在を強く喚起する。


そのことは映画『ワルキューレ』ではトム・クルーズ扮するシュタウフェンベルク大佐の副官である中尉の印象は薄く、俳優の名前も残念ながら覚えていないが、テレビ映画版『オペレーション・ワルキューレ』では、ヘフテン中尉を演ずるのは、ハーディー・クリューガー・ジュニアであって、あの名優ハーディー・クリューガーの息子で、なかなか印象が強い。シュタウフェンベルクとの間に強い絆を予想されるのである。


ゲイ的欲望を温存したままさらに一般化すると、人間、誰かと、修羅場をくぐりぬけたり、苦楽を共にすると、相手との間に強い連帯というか絆が生まれるものだと私は考えている。以前、『ブーリン家の姉妹』を見て嗚咽するほどの悲しみに襲われたのは、あの姉妹と兄とが権謀術策渦巻く過酷な宮廷の中で、必死に生きてきた、修羅場を潜り抜けてきたことにより、ふつうの兄弟姉妹には望めない強い絆が作り出されたのだが、それが切り裂かれることの残酷さに、涙を抑えきれなくなったということではなかったかと、いまにしては思えるのだ。いっぽうシュタウフェンベルク大佐とヘフテン中尉は、ともに同時に銃弾に倒れることによって、暗殺計画実行という修羅場を潜り抜けてきた二人の間に生まれた強い絆が永遠のものとなったのである。その強い絆は、ゲイ的欲望とも共鳴するのである。


ちなみに苦難を潜り抜ける二人の間に生まれる絆の極端だが典型ともいえるのがストックホルム症候群である。


なおヘフテン中尉については、ウィキペディアの記述を以下に参考までに挙げておく――

ヴェルナー・カール・フォン・へフテン(Werner Karl von Haeften, 1908年10月9日 - 1944年7月20日)は、第二次大戦中のドイツ陸軍中尉。1944年7月20日ヒトラー暗殺計画に参加し処刑された。
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彼ら〔シュタウフェンベルクとヘフテン〕はベルリンベンドラー街の国内予備軍司令部に戻り、反乱鎮定計画「ヴァルキューレ作戦」を利用したクーデターを行うが、ヒトラーの生存が伝えられたために失敗した。同日深夜、フォン・へフテン中尉はシュタウフェンベルク大佐および共謀者のフリードリヒ・オルブリヒト将軍、アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム大佐と共に、国内予備軍司令官フリードリヒ・フロム将軍によって逮捕された。彼らは即決の軍法会議で死刑の判決を受け、国内予備軍司令部の中庭で銃殺刑に処された。 銃殺の順番がシュタウフェンベルクに回ってきたとき、それを庇うように銃弾の雨に向かって身を投げ出しての最期だったといわれる。