高校生


人間には二種類ある。高校生活に良い思い出を持っている者と、私のように高校生活に悪い思い出しか持っていない者とに。


どちらが良いとか悪いとかいう問題ではない。なにかに対して良い思い出を持つということは、幸福な記憶を持っていることであり、それはそれでうらやましいと思うのである。ただし同じ高校の出身者と出会った場合、たまたま相手が、高校時代に良い思い出を持っているとなると、こちらがその同じ高校での高校時代に、正反対の感情を抱いていることになるので、気まずくなる。とはいえ、そういうことはめったいにないが(同窓会の類は、絶対に出ない)。


ところが昨日、知人から、私の名前が、私の出身高校のWikipediaに書いてあると教えてもらった。


帰って調べてみたら、う〜ん、頭をかかえた。


いくら良い思い出がないと言っても、その出身校の悪口を書いたことは、このブログも含めて一度もない。批判めいたことも書いていない。また私の書く物に高校時代の思い出を綴ったものはない。端的に言って、沈黙しているのである。だから私の出身校がどこであるのかは、いったいどこで調べたのだろう。出身校の同窓生名簿には現職が書いていあるのだが、そこからなのだろうか。


ただし恥ずかしいのは、その私の出身高校のWikipediaに列挙してある出身者のリストで、私のすぐ上に載っているのがノーベル賞受賞者であることだ。その人と私との間では、どうみても格差がある。格差がありすぎる。また誰だって、そのノーベル賞受賞者には着目するだろうから、そのすぐ下にいる私の名前を見て、こいつ誰?と思うに決まっている。ああ、恥ずかしいぞ。いやがらせか。