アウトブレイク

昔見た映画で、アフリカ産のエボラ菌による熱病がアメリカに蔓延するとき、それを阻止せんとする医療チームの活動を描いた『アウトブレイク』というパニック映画がった。ダスティン・ホフマン主演のその映画(当時は、まだよく知られていなかったけケヴィン・スペイシーなんかもでていたが)、あの中で最も恐ろしい場面というのは、エボラ菌の怖さもさることながら、多くの人々が一挙にエボラ熱に関せするところだった――なんと映画館で。


保菌者の青年が映画館で咳をする。するとその咳に含まれているエボラ菌が暗い館内を空中にただようさまが映像化される。実際にはそんな菌など見えないのだが、白い粉が空中を漂うような、そんな視覚表現が加えられていたと思う。そして次の瞬間。大惨事が起こる。感染して苦しむ観客が映画館のロビーにあふれ、救急車で搬出されるところを待っている。病状がひどい患者は顔面から出血しはじめている。感染者が一挙に増えたたてめ、救助や治療が間に合わないのだ。


ハリセンボンの箕輪はるか結核感染が発表されたが、まあ、むしろあれは彼女が病原菌を撒き散らしているというようりも、彼女にうつした人間を特定するほうが先だろう。体が弱っていたり、病気の人間は結核菌に感染しやすい。彼女の場合は、どうみても栄養失調で、結核菌に対する抵抗力がなかったからだろう。


しかしそうはいっても、芸人で舞台に立っている以上、やはり劇場というのは、映画『アウトブレイク』ではないが、空気感染しやすいところでもあって、感染者が出やすい。そしてそのことは歴史的にもあてはまった。精神的感染つまり劇場空間が反乱空間へと一挙に転換することは為政者の誰もが良くして知っていた。そしてまた、たとえばシェイクスピア時代の演劇史を知る者は、ペストの蔓延すると、すぐさま劇場が閉鎖されたことをsっている。


そのため病的感染と精神的感染は、ともに劇場によくなじんできたのである。実際、津野海太郎『ペストと劇場』なんて本もあった。


ちなみに私も先週、映画館で、ひとつ席をあけて隣の女性が、風邪で、その風邪がうつるかなと心配していたら、物の見事に感染して、いまだ直っていない。映画館(TOHOシネマズ・シャンテ)の窓口では最後列を窓口で勧められたので、そこにした。最後列は後ろから席を蹴られる心配はないので、安心なのだが、しかし、風邪の観客がひとつ席をあけた右隣なりに座った。


そもそも映画館である。劇場だったりすると、日時指定があるので、その日時に行かなければならないが、映画館、それも、満席でもなんでもない映画館に、風邪の人間がわざわざ来るか? 体調不良のときは、頭脳だって働かないから、映画館で眠ってしまうかもしれないから、そんなとき映画鑑賞などしていられない。そしてそもそも風邪は空気感染なので、風邪の人間は映画館に来ないというのは、絶対的な倫理というか命令だぞ。バカ女め。


で、その風邪に苦しんだ私も、なおりかけていたし、昨日から飲み始めた風邪薬がもののみごとに症状を抑えてくれているので咳もでない。 箕輪に結核を映されましたと、本日の大学でのガイダンスで冗談でも言おうと思ったら、咳が出ないので、その冗談も通じないのでやめたくらいだ。また最後列を勧められた(丸の内ピカデリー)。最後列は後ろから蹴られることがないので安心だと思っていたら、またもひとつ席をあけた隣の女性が、ぐじゅぐじゅの風邪ひき女なので、暗澹たる気持ちになった。


実際、上映中、そのぐじゅぐじゅ女は、咳はするは、くしゃみはするは、鼻水は出すわで、うるさくてしょうがいない。絶対に、風邪がうつると怖くなったが、今回は、もうすでに風邪になっていて、まだ完全に治りきっていないので、逆に、怖くなくなってしまった。私は、上映中一度も咳をしなかった。でも、風邪薬を飲んでいて、体調は良くない。実際、その日の朝は、大学へ行くまで、ものすごく苦労した。寝すぎて腰がいたくて、足も弱っていて、頭がぼんやりしていたので。しかしこれだけ体調が絶不調だから、もううつらないぞというへんな自信もできた。


ただ、それにしても、そんなぐじゅぐじゅ状態で、よく映画館に来るな。家で寝ていたほうがいいぞ。仕事があって、風邪でも出社しなければいけないというのなら、それはしかたがないところもある。しかしTOHOシネマズ・シャンティといえ、この丸の内ピカデリーといい、この時間帯は、通常の勤労者だったら仕事をしている時間帯だ。だとすると、仕事でもないのに、風邪がひどいのに、わざわざ映画館まで足を運ぶのか。どこまで映画好き? やはり倫理感がないとしかいいようがない。


とはいえ、その女性がごつい白いマスクをしている。ああ、これって花粉症のマスクだ。とするとその女性は、風邪ではなくて、花粉症なのかもしれない。え、ならば、先週、映画館の最後列で、私のひとつ席をあけた隣の女性も、花粉症だったのか。としたら、私はそこで、風邪に感染しているのではないことになる。この女性も、風邪をおしてわざわざ映画館に来たのではなく、ひどい花粉症に苦しんでいるだけなのか。まあ、その可能性もないわけではないとしておこう。