昨日、宝塚市から帰宅、早めに起きて会議の準備。そして午後すぐに始まる会議のために出かけようとして、発見した。


今朝は星占いがあまりよくない。蟹座は比較的よかったので、蟹座と相性のよいさそり座も、絶好調ではないとしても、それになりによいかと思ったら、予想外に悪い。まあ、今日は悪いことがあるのかな、まあ、心構えをして慎重な言動をするにこしたことはないと考えた。


バルコニーで鳩が2羽死んでる。実は、マンションではハトの害に悩まされている。マイケル・ウィンターボトム監督の『24アワー・パーティ・ピープル』24 Hour Party People(2002, 日本公開2007)のなかで私が一番好きなのは、鳩に猫いらずを食わせて次々と墜落させるシーンで、死んだ鳩が散らばる屋上で、この映画では動物は一切死んでいませんと、トニー・ウィルソン(プリゼンター)役のスティーヴ・コーガンは語るのだが(実際、その鳩は作り物である)、その語りのなかで、世の中には、鳩が好きな人と、鳩を嫌う人がいる。鳩嫌いの人にとって、鳩は、羽根の生えたネズミであるという言葉を聞いて、私は、そうか、鳩は空のネズミだと、思わず納得した。


しかし私は、頭のおかしいミュージシャンじゃないので、鳩を殺したりしない。鳩がいれば、ガラスをたたいたりして音で追い払うくらいで、鳥を殺したりはしない。長らく鳩の害に悩まされていたが、最近は、紐を張り巡らせることで鳩や鳥に対応できるようになった。ゴミ捨て場でも以前はカラスの害になやまされていたが、人間の頭よりも上の空間に、細い針金のような糸を交差させるようにして張ることで鳩やカラスが来なくなった。


私もそれを真似て、鳩が脚で踏みにくい突起のついたシートを窓枠の下につけている。プラスチック製で鳩は傷つけない。と同時に、猫や鳩よけの網をバルコニーにつけていた。たしかにこれで鳩は近づかなくなったが、時折、風邪などで網がずれたりすると、糞なり羽を置いて行って、自分の縄張りであることをマーキングしている。


ところが鳩がその網にひっかかっていた。今回、1週間くらい留守を開けたあとだったから、気づくのが遅れた。ほんとうならあばれまわって音をたてて気づいたかもしれないが、留守だったので、わからなかった。2羽は、ぐったりしていて動かない。死んでいるようだ。虫の息だったのかもしれないが、それはわからない。臭い。鳩がそもそももっている匂いなのか、死臭なのかわからない。いそいでバルコニーを消毒したが、網がからまっていて外せない、丁寧に網を切って、死体をはずすことができたかもしれないが、気色悪くて臭いののでそれもできない。また雀のような小さな鳥なら、土に埋めて埋葬してもいいが、 団地の庭に2羽分の大きな穴を掘るわけにはいかない。ゴミ箱に直行した。


会議にはいつも15分前には行くようにしているが、鳩の処理で、遅れた。会議には10分くらい遅れたが、幸い、まだ始まってはいなかった。しかし、予想外のことで、絶対に遅れないことを誓っている私としては残念でならない。鳩の死体を処理していたから遅くなったという理由は言わなかった。


さらに会議は長びた。残念ながら、渋谷が近いので会議が終わったら、映画をみることにしているというか、正確には映画を見よと思っているのだが、たいては会議が早く終わりすぎたり(たいてい開演までに、どこの映画館でも2時間くらいまたなければいけなくなり、あきらめる)、あるいは今日のように遅すぎる。めぼしい映画は、すでにはじまっていて、あとは9時以降の最後の回となるので、あきらめる。今日は運が悪い。


渋谷で副都心線に乗る。運よく急行に乗れた。これに乗ると、渋谷、新宿三丁目、池袋、小竹向原和光市終点となって早い。これで今日の悪運も尽きたかと、ほっとする。かなり雨がふっていたが、無事に帰宅する。


土曜日の夜、東京ではテレビ東京の土曜美術館が午後10時からある。今日取り上げるのはマックス・エルンストの「ナイチンゲールに脅される2人の子ども」である。


マックス・エルンスト。私は子供のころ、小学生高学年か、中学生の頃、親にねだって買ってもらった美術全集(廉価版であるが)のなかで、ダリとエルンストが入っている巻がとりわけ好きで、図版をみながら解説を何度も読み直していた。小学生高学年か中学生で、ダリとかエルンスト、嘘だろうというかもしれないが、小学生あるいは中学生をあなどってはいけない。


私の小学4年生の頃の、学校での楽しみのひとつに、学校の図書室で美術全集をみることであった。それも平凡社の古い美術全集。当然、小学校の悪がきどもは、見つけたのである――ポール・デルヴォーの絵画のカラー図版を。つまりいうまでもないことながら、その美術全集のなかで唯一その図版だけ、裸体の女性のヘアーが詳細にはっきりと描かれていたのだから、要はポルノグラフィー扱いである。


私が小学校の頃、図書室で過ごすときには、誰もみていないとわかると、その美術全集の一冊をもってきて、ポール・デルヴォーの図版をあらためてみてから、前後の図版と解説を読んだ。つまりシュルレアリスムのアーティストの作品図版をみていたのである。だから高学年か中学生になってから、新しい美術全集のなかで、シュルレアリスム関連の巻をねだった。ポール・デルヴォーのヘアを見たかった?――違う。シュルレアリスムの画家に興味があったらからだ。


ダリとエルンストでは、中学生には、当然、ダリの絵のほうが鮮明で面白いことはまちがいない。しかし当時はそんなに面白いとは思わなかったエルンストの作品のほうが、いまとなってみると、興味深くなった。だから「美の巨人たち」でエルンストの作品がとりあげられるとわかると思わず見入ってしまった。


しまった。そうだったのか。思い出した。エルンストといえば、そう、鳥だ。本人の目も鳥の目に似ている。そう、そう、エルンストとえいば、鳥、ロプロプLopLop鳥だ。番組の絵の解説とともに、少年の日のエルンストにとっての事件(飼っていたインコの死と妹の誕生)を語る部分という並行する二部構成になっている。そう、エルンストというと、その作品のどこかに不気味な鳥があらわれるのだった。エルンストの絵は、鳥のなのだ。ああ、鳥の呪いじゃ〜。