書評書コーナー

本日、会議でいっしょになった方の話しによると、新聞などの書評でとりあげられた本をならべておくコーナーを最初に作ったのは、神田神保町の書店街にある東京堂書店であるとのことで、その話を興味深くうかがった。


神保町の書店の場合、書評情報を店内に提示しておいてくれたら、その本は、書店のなかにたいていはあるはずだし、もしなくても、隣近所に大きな書店もあって、そこに行けば手に入るので、わざわざコーナーを作って並べなくてもいいとは思うのだが、並べられていると便利であることはまちがいない。


これが地方の書店ともなると絶大な効果を発揮する。私の近くのイトーヨーカ堂のビルの三階のフロアの一画を占めている書店は、そんなに大きな書店ではないし、中心を占めるのは雑誌とか文庫、実用書、児童書、参考書で、通常の街の書店の品揃えと変わらないのだが、それが一年くらい前に書評コーナーをつくいった。三大紙の書評欄のコピーを壁というか柱に掲げ、その下の二段の棚に、取り上げられた書籍を並べるものだが、最初の頃は、新聞の書評欄で取り上げらる本は、その書店には、まったく置いてなく、ほとんどんが未入荷というお寒い書評書コーナーだったが、最近は、迅速に取り寄せるようになって、その週の書評欄の本は、よほど特殊なものでない限り、ほぼすべて並べられるようになった。


これはたいへんありがたいコーナーで、書店のそこだけ、なにかオーラが放たれているようで、毎日というわけではないが、その書店の近辺に用があるときは、必ず、その書評コーナーだけは立ち寄ることにしていて、こんな本が出ているのかと驚くことも多く、並べてある書籍はついつい購入してしまう。


私の翻訳など、ふだんなら、その書店のどこを探しても絶対に置いてないのだが、8月に書評されたので、珍しくそのコーナーに置いてあった。珍しい。


しかし自分の本とか翻訳が、書評コーナーに並べられていると嬉しいとばかりもいっていられないこともある。


東京堂に話をもどすと、確かに東京堂の書評書コーナーは覚えている。いまは、どこに設置してあるのか、ないのか定かではないのだが、私の記憶にある書評書コーナーは、一階のレジのカウンターの横にあった。


実は、私の業績表にも載せていない翻訳があって、まだ若い頃、翻訳をさせてもらえるだけでもありがたかった頃に、引き受けて、薄い本ながら、長い時間がかかって完成した翻訳がある。人文・社会・政治・歴史・思想系の本ではない。あとは秘密。翻訳原稿料ももらっていない(そもそも、その出版社は原稿料・翻訳料はないのだと、あとで知った)。まあ時間はかかりすぎたので、翻訳料はもらったら罰があたりそうで、実際、もらっていないものの、それで義理ははたしたので、あとはその本も、静かに消えてもらえばいいと思った。


消えなかった。週刊誌かなにかで、その翻訳が書評されたのだ。幸い、こんなひどい翻訳をしやがってという書評ではなくて、好意的な書評だったのだが(実際、内容は一般向けで、面白いことも事実)、当然、東京堂の書評コーナーに並ぶことになった。


当時、たまたま東京堂のいまはなき伝説的な洋書コーナーで本を買って、一階でも文庫本を買って支払いをすませて、帰ろうとするとき、書評書コーナーが目に留まった。私の翻訳した本が置いてあるではないか。本来なら喜んでもいいところ、こっそり人知れず出して、消えるのを待つ本、また私の業績表には絶対に乗ることのない本、最初から、あらかじめ忘却されている本、それが、そんな目立つところに置いてあることにかなりあせった。いや、それは必要以上に目立ちすぎたのだ。こんなはずではなかった。パニックになった私は、そのまま逃げるようにして東京堂書店を出た。


なにしろ、私の、あらかじめ忘却されるべき翻訳は、当時、よく売れた翻訳のすぐ横に置いてあったのだ。そのよく売れた大部の翻訳を誰もが目に留めるだろう。一刻も早く忘れてもらいたい翻訳が、しかもふつうなら、書店の片隅に置かれて、そんな有名な本の隣に置かれるようなことのない本が、書評書コーナーのおかげで隣同士になってしまったのだ。私の翻訳の隣にあった本、当時爆発的かどうかわからないが、大いに話題になり、また注目されて、それなりに売れた本とは……それはドゥルーズの『アンチ・オイディプス』だった