なぜ学校を休ませない


群馬県桐生市の小学6年生、上村明子さんがいじめを苦に自殺した事件が、まだ尾を引いている。学校長が、その子の親を訪問したというが、いじめの報告については何も語らなかったという。


こういう痛ましい事件が報道されるたびに思うのだが、いじめられているという訴えがあったとき、なぜ、親は、あるいは周囲は、登校を止めさせなかったのか。たとえささいないじめでも、子供にとっては、たいへんな苦痛だろうし、そうしたいじめがある限り、子供を休ませるという、ごく常識的な判断を、なぜ、親も、周囲もできなかったのか。


べつに子供を自殺で失った親を責めるつもりはまったくない。責められるべきは、いじめをしていた子供たちであり、彼らは衝動的にせよ、意図的にせよ、あるいは習慣的にせよ、いじめに加わった以上、最低の人間、あるいは人間以下の存在であり、いじめの加害者は、それこそ、考えられるあらゆる過酷な刑罰を与えられてしかるべき、人間の屑、人間の恥でしかないのであって、彼らを放置した学校側も、同罪である。


だからそんな人間の屑たちに、屑の学校で、殺されるのは、あまりにもひどい。だから、いじめが発生したら、とにかく学校を休ませること。それが子供を苦痛から守り、子供を殺されないための最善の手段である。


実際のところ、理由は何であれ、不登校の小学生がやまのようにいるというこのご時勢に、なにも、いじめられている子供を、屑人間、屑生徒、屑教師のいる学校に登校させる必要などない。親や周囲を責めようと言うのではない。ただ、学校を休むのは罪悪だとか、多少、いやなことがあったくらいで学校を休むのはまちがっているという、それこそまちがった考え方に染まっている、いや洗脳されている悲劇をここで問いたいのである。


自殺した女の子は、学校へ行くことの苦痛に耐えられなかったから自殺したのだろう。外国人の母親も働きに出ていたというから、女の子を一日中家に置いておくことはできないと判断したのかもしれないが、病気で寝込んでいるわけではなく、小学6年生だったら、ふつうの子ならひとりで留守番できる。一日中、家で勉強させてもいいし、のんびり休ませてもいい。


もしそんなことをしたら学校の勉強が遅れると考えるバカがいたら、とっとと首をつって死ね。小学校6年生の勉強など、親が教えればいい。いや長期欠席なら、卒業できないというかもしれないが、学校に一度も出てこない不良でも中学を卒業できる。小学校、中学校は、義務教育だから、出席不良でも卒業できるのである。義務教育だから、小学校・中学校は休ませると、たいへんなことになるというのは間違っている。義務教育ではない大学の場合、休みが多いと卒業できなくなる――わかっているのか、休んでばかりいる大学生よ。義務教育だから、全員、卒業できるのである。


逃げるのはよくない。立ち向かえというバカがいたら、トイレに首をつっこんで窒息死しろ。個人によるいじめは、いじめではない。集団で一人をいじめるのがいじめであり、この集団は結束が固く、狡猾で卑劣で、親ぐるみ地域ぐるみであるために、個人でたちむかうのはバカである。また勇気を出して個人でたちむかってくるのを、こうした屑どもの集団は待ち構え、そしてなぶりものにするのである。だから、間違っても、相手の罠に乗らないことである。不登校は逃げ出す卑怯者だという考え方は捨てるべきである。いじめるほうが卑怯者なのであって、不登校は、もっとも健全かつ最善の方策である。


いじめをする屑生徒と屑教師のいる屑学校に行くことは、自殺行為にほかならない。自殺した彼女は、登校していたことによって、結局、二度死ぬことになったのである。子供たちを屑から救うために、いじめがあったら、絶対に登校させてはいけない。