翻訳 鷹の目

 いくら英語の専門家とはいえ、英語で書かれた論文がすべて読みこなせるわけではない。専門外の分野の論文はまったく意味がとれない。それでも翻訳を頼まれるときがある。専門家に聞けばなんとかなると思われるかもしれないが、たまたま知人に該当分野の専門家がいれば別だが、実際には誰が専門家なのか調べ、その専門家にコンタクトをとるまでにけっこう難関があり、膨大な時間を費やすことになる。そうこうしているうちに専門家から意見をもらうチャンスを逸してしまう。たいていは自分で調べて、運を天にまかせる。そして天が注意を向けないよう、静かにしておく。
 ポール・ヴィリリオの『戦争と映画』*1の翻訳を読んでいたら、固有名詞の表記がおかしいことに気づいた。軍事オタクともいえるヴィリリオの本を訳すのは、いくらフランス語が読めても、それだけではすまないのだからたいへんだろうと察しはつく。しかし、このヴィリリオの翻訳者たちは、ヴィリリオにも質問をして翻訳に万全を期したふうに書いている。蓄積と情熱が翻訳を支えているかのように書かれている部分もある。謙虚さが足りないな。
 『戦争と映画』の末尾を引用してみよう。

 一九八三年七月五日、レーザー機器搭載のアメリカ軍戦闘機KC135は、時速三千キロメートルを超える速度で飛行中のミサイル、サイドワインダーを撃墜した。
 一九八四年、スキャン・フリーズ、静止画像。
   一九八三年八月三十一日、ポール・ヴィリリオ
  (平凡社ライブラリー版 p.276)

このスキャン・フリーズ、静止画像というチープなビデオイメージ……。だが待った。「アメリカ軍戦闘機KC135」とは何か? 戦闘機は英語で「ファイター」だから、Fではないのか。KC135というのは戦闘機なのか?
 訳者たちは、私とちがってヴィリリオを愛しているのなら、軍事分野を多少なりともリサーチしていてしかるべきである(とはいえ知らない分野についてのリサーチ不足はやむをえないところもある。だから許される。しかしリサーチ不足のくせに翻訳に万全を期したという態度は許せない)。
 そもそもKC135は戦闘機ではない。ジェット・エンジンを4つつけた鈍重な空中給油機で、輸送機ボーイングC135の派生型(これは旅客機ボーイング707とよく似ているが、設計は旅客機とは別)。おそらくその空中給油機・輸送機にさらに「レーザー機器を搭載」して空対空ミサイル、サイドワインダーを撃墜する実験でもしたのだろう。原文はたぶん「アメリカ軍用機」くらいのはず。
 ところで1ページ前を見てみる。すると

F15、F16戦闘爆撃機援護の目的で二百五十個の標的を同時に探知するレーダー搭載哨戒機グルマン「ホーキー」が活躍し……。(p.275)

とある。いや、さすがにヴィリリオ、私の聞いたことのない航空機会社と航空機名を、よく知っているものだと、一瞬ほんとうに感心した。しかし、つぎの瞬間、唖然とした。
 「グルマン?」えっ、それは「グラマンGruman」だろう。「ホーキー」?いったいどこをどう読んだら、そんな読みかたができるのか。「ホーキー」とは、「ホークアイHawkeye」だ。あほらし。
 これはヴィリリオが記述しているとおり、巨大なレーダーをもつ早期警戒機で、地上や低空の物体を高空から感知でき、ニックネームもまさに「鷹の眼」、すなわち「ホークアイ*2なのである。繰り返すが「ホーキー」ではない。
 ただし、こんなことを知っている私は戦争・兵器オタクかと思われそうだが、この知識は珍しいものではない。なぜならこの「ホーキー」ならぬ「ホークアイ」は、現在、日本の航空自衛隊も配備している軍用機なのだ。そういえば朝鮮戦争時に登場し、その後自衛隊でも使われたF86という戦闘機が存在したが、そのニックネームは「セイバーSabre」。「セイバー」とは軍刀のサーベルの英語読みだが、翻訳ではもののみごとに「米国空軍「サーベル」機」(p.264)となっている。「米国空軍セイバー戦闘機」とでもしておけば問題はないが、サーベル機とはいったいなにか。この「サーベル」ではない「セイバー」戦闘機は、航空自衛隊でも使われたこともあって、その名前は日本人にけっこう知られている。東京オリンピックの開会式では、このセイバーで構成された航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルー・インパルス」が国立陸上競技場から見える青空にオリンピックの五輪を描いた(私が小学生の頃のことだ。歳がばれる)。
 おかしな表記がこれだけなら、この翻訳はほぼ完璧なものといっていい。しかし固有名詞、とりわけ軍事用語には首をかしげるものが多すぎる。もしヴィリリオを愛しているなら、フランス語が堪能でフランス思想に詳しいというだけではだめで、ヴィリリオが扱っている分野についてきちんとリサーチしておくのが礼儀であろう。それがいやなら、あるいはできかねるなら、翻訳しなければいいし、翻訳しても下を向いていればいい、偉そうにヴィリリオの研究者を気取らなければいい。いやいや、リサーチ不足であるがゆえに、逆にヴィリリオに質問したことを誇示したのだろう。むしろそう考えるたほうが、わかりやすいか。

*1:『戦争と映画−知覚の兵站術』石井直志・千葉文夫訳(平凡社ライブラリー1999)。

*2:手持ちの電子辞書では、リーダーズ・プラス(研究社)に、この「ホークアイ」早期警戒機の記述がある。まあネットで調べればすぐにわかることだが。