建築関係者の計算

 実は、この本は贈られてきたもので、私が購入したものではない。中身はひどい。自分の家のドアにウンコを投げつけられたような気がする。飯島洋一*1トンデモ本グランド・ゼロと現代建築』*2である。そのなかでサイードを扱った章がある。内容はひどいものだが、もちろんそれは私の主観的な感想にすぎないと言われるかもしれない。しかしこの洋一の馬鹿が、計算ミスをしていたという客観的事実を前にしてら、私たちはどう考えるべきだろうか。むつかしい計算ではない。初歩的な算数の計算ミスをしていたとしたら、そしてその計算ミスの上に議論を構築していたとしたら。馬鹿といわれてもしかたがない。こいつに反論してやろうかと思ったが、こんな足し算もまともにできないような馬鹿に、まともに反論する価値があるかと疑問に思えてきた。
 引用してみる。

……『ペンと剣』の中で、彼はこう言っている。〔ここまでp.27〕「僕の場合、一九四八年に自分の家族全員と、いとこや祖父母やおじやおばなど、父方も母方も一族のすべてが、わずか数ヶ月の間にパレスチナから追放されたという事実を、気がついてはいたものの本当に理解するまでには三五年ほどかかりました」。
 三五年とはこの場合は一九四八年から計算するから、一九九三年までということになる。それはサイードが五八歳の時であり、彼が亡くなる十年ほど前のことである。『ペンと剣』が出たのが一九九四年だから、この発言をひとまず信ずるならば、ほぼそれまでずっと、彼はパレスチナを本質的には抑圧してきたことになるだろう。(p.28)

 私はこの一節(原文を変更せずに引用した)を書いた飯島洋一を馬鹿ヤローだと批判する。これはほんとうに馬鹿という言葉に値する稀な人物である。
 だいたい建築関係者の計算なんて、最近は誰も信じないが、いいですか、一九四八年から計算して三五年というのは一九八三年のことだろう。洋一のバカヤロー(洋一なんて名前の奴はどいつも大嫌いだ)。まあ印刷ミスで一九八三年とすべきところが一九九三年となったら、むしろ飯島洋一は、気の毒な被害者だから馬鹿呼ばわりするのはまちがっている。そうではないのだ。ご丁寧に、「それはサイードが五八歳の時であり、彼が亡くなる十年ほど前のことである」とまで念を押して書いているではないか*3。つまりそれは紛れもなく一九九三年のことであり、一九九三年という計算結果は、ミスプリントでもなんでもないのである*4
 この後、この飯島洋一の馬鹿は、サイードが「妄想」を抱いているとかなんとか批判しやがって、てめーで小学生でもまちがわない計算まちがいしやがって、そこから勝手な議論をする馬鹿が、人のことを妄想を抱くとよくもまあ言えたものだ。てめーの妄想を最初になんとかせいや。
 まあ、こういう愚劣な人間だから、サイード批判ができるのだろう。批判者の正体を見た気がする。なおこの本はまだ書店に並んでいるかもしれないので、計算ミスの部分が直っていないものを購入すると(とはいえミスプリントではないのだから、どうやって直すのだろう)、将来、珍本として値段が上がるかもしれない。お勧め本である。

*1:建築評論家・多摩美術大学教授。

*2:青土社、2006年6月刊。

*3:イードは2003年に正確には67歳で亡くなっている。

*4:なおサイードのこの「35年間」発言がなされたインタヴューは、『ペンと剣』に収録されたもののひとつだが、そこでは1987年に行なわれたインタヴューと明記してある。