ヴァレンタインbis

これはある短編小説のパロディだが、同時に、その短編小説へのオマージュにもなっている。明日、自作解説を載せる。



ヴァレンタインbis


 地下鉄の駅の通路を歩いているときから、熱風が吹き込んできた。そう、これが長らく経験してこなかった**市の湿気と熱気だと、地下鉄の出口で立ち止まり、ノスタルジーにひたっていると、小学生の男の子が目の前を歩いているのが見えた。参ったなと思う。
 参ったな、あれは僕じゃないかと、僕は思う。
 バリカンで刈り上げて前髪を一直線に切り整えた髪や、土まみれになって汚れた運動靴からして、いまどきの子供ではありえないし、舗装していない道にころがっている石ころにけつまずいていまにもころびそうな前かがみになって歩く姿勢、それに半ズボンの右ポケットにいれた手が股間にあるものを握ろうとして握れない様子からして、間違いない、あれはかつて僕だった僕だ。
 今年は死んだ母親の七回忌にあたった。そこで法要の一日前にこの**市に着いて、一泊し、翌朝、お寺に出かけることにした。ホテルでチェックインをすませたら、今日はこれからなにもすることがない。そこで久しぶりに子供の頃暮らしていた街を歩いてみたいと考え、地下鉄に乗った。
 だがこの街の七月の猛暑は、呼吸することすら困難に思えて、のんびり街を見て回ることなどできないことがわかった。それでも同級生はいないかと思って、すれ違う人の顔をのぞいてみる。そのとき、つい子供とか、若者とかの顔を見てしまう。同級生を探すなら、僕と同じ、くたびれた中年の男女を見ないといけないのに。
 昔の面影などなかった。多少は趣のあった路地は、無機質なビルの連なりの谷底をゆく乾上った小川のような死んだ道になり、よく遊んだいくつかの空き地は消え、マンションか駐車場になっている。街から緑が奪われたことで、猛暑に拍車をかけていた。ただこの猛暑ゆえに歩いている人はそんなに多くない。ふと誰も歩いていない路地に入った。毎週火曜日の夕方、この路地を通って少年サンデーを買いに行ったものだ。
 そう、ちょうど今、歩いているこの子のように。そう、不意にあらわれたこの子のように。この路地をぬけて右にまわり、バス停を通りすぎると、区役所がみえてくる。その横の薬局で少年サンデーを売っていた。
 厚生堂という薬局だが、たばこや新聞雑誌も売っていた。少年サンデーは、毎週水曜日発売だが、その店は発売日の前日、火曜日の夕方に、ラックに少年サンデーを並べた。なんだか得をしたような気分にひたりながら、僕は、最初の一冊をいつも買った。
 いまは週刊誌を買う習慣もなくなったのだが、すこし前までは、数種の週刊誌を買いあさっていた。子供の頃の習慣抜けがたく、発売日の一日前の夕方に駅のキオスクに並ぶ雑誌を買わないと買った気になれなかった。
 現在の僕は、かつての僕が厚生堂から少年サンデーを抱えて、なにか得意げに出てくるのを、ほほえましく思いながら、その後姿を見届けると、なんだか満ち足りた気分になって、ホテルにもどろうと、地下鉄の駅にむかう。
 その子が持っていた少年サンデーの表紙は、ちらっとみえたかぎりではゼロ戦だったような気がする。戦記物はよく読んだ。僕の父親や母親の世代は、神武天皇にはじまり現在の天皇まですべてをそらんじていた(戦時中の軍国教育のおかげだ)。父や母と同じ世代の、ある左翼的作家が、右翼団体の若者たちに仕事場まで押しかけられたとき、歴代天皇をすべて暗記していたので彼らを追い返すことができたということがまことしやかに語られたことがある。戦後の教育を受けた僕たちの世代で、歴代天皇をすべてそらんじている者は少ないだろうが、漫画雑誌には戦記物が多くて、僕は、最近の右翼がかった若者たちよりも、日本の戦争については詳しくなっていた。真珠湾攻撃に参加した日本の空母六隻をいまでもすらすら言えるのだから。僕たちの世代では珍しいことではない。
 いやちがうと僕は思う。あの頃の僕が、いま抱えて帰った少年サンデーの表紙は横山光輝描く伊賀の影丸だった。影丸の周囲に舞い散る木の葉が描かれている。このことに気づいた瞬間、少年サンデーをむしょうに読みたくなった。『オバケのQ太郎』はまあどちらでもいけれど、『おそ松くん』の文学性は前よりわかるんじゃないかという気がするし、何といっても『伊賀の影丸』を僕は読んでみたくなった。
 そこで僕は厚生堂にひきかえす。あそこで発売日一日前の少年サンデーを購入するのだ。店内にさしこむ夕方の西日を避けて置かれたラックに並ぶ少年漫画誌や少女漫画誌、そのなかでも少年サンデーがむしょうになつかしくなった。少年マガジンは床屋とか病院とか銀行の待合室にあるものを読んだが、少年サンデーだけは毎週買っていた。あの少年サンデー。
 だが、その店はいまはなく、隣接する区役所も中国の上海にある高層建築のような、わけのわからない未来的フォームを誇示していて、その界隈に昔の面影はなかった。
 あ〜と、思わず失望のため息が声になって出た。道行く数人を振り向かせるほどに。そのときあの少年が、大通りの歩道から路地に入るところを目の端にとらえた。そうだ、あの子がもっている少年サンデーをみせてもらえばいいじゃないか。どうせあれは僕なのだし。
 だが、それだけではない。予感が僕のなかに渦巻いた。少年サンデー。伊賀の影丸。あの頃の僕。色白で、坊ちゃん刈の頭髪。そしてもうオナニーを覚えていた。まだ小学校の三年生くらいのときに。
 少年がどこへ行くのかはすぐにわかった。家に帰るのだ。狭い家のなかでは、いつも勉強しろと口うるさい両親のもとでは、ゆっくり漫画も読めないから、近くの公園、といってもブランコと砂場とベンチがあるくらいの狭い公園だが、そこの日陰のベンチに座って読むつもりなのだ。僕は少年の僕に気づかれないように、ベンチの後ろの茂みに身を潜め、背後から、彼が読んでいる少年サンデーをのぞきこんだ。
 かつての僕は、やはり予想どおり、伊賀の影丸を読んでいた。息をひそめて背後からのそき込んで、僕は自分の予感があたったことを知った。僕はその回の伊賀の影丸がどうなるか思い出した。思い出したら動悸が高鳴った。その子に聞かれないかと心配になるくらいに。胃にむかつきが生じた。そして、五〇歳もとうに過ぎて、いまやオナニーしても勃起しない僕のペニスがズボンのなかで膨らんできた。
 横山光輝描くところの少年忍者伊賀の影丸は、こうした漫画の常套で、何度もピンチに陥るのだが、その子の読む少年サンデーのなかで影丸は、全編を通じて最大のピンチを、いま迎えようとしていた。茂みのなかに隠れていた敵の忍者に、影丸が、後ろから腰のあたりを、剣で切られるのではなく、深々と刺されるのだ。切られるのは軽傷、しかし刺されることは重傷か死を意味する。
 不気味にほくそ笑む敵の忍者。その眼前を、腰に剣を突き立てられ、体を痙攣させながら、苦悶の表情のまま一歩二歩進んだあと倒れこむ影丸。あとは来週というかたちで、その回は終わる。絶対に死なないはずの主人公だが、それでもこれは過去の僕が読んだなかでは最大級の負傷だった。それに衝撃を受けたのも事実だが、もっと衝撃的だったのは、ゆっくりと腰に剣を突きたてられて崩れゆく影丸の姿に、過去の僕が、自分では説明のつかない感情にとらわれたことだ。いまならそれを性的興奮と呼ぶことができる。昔の僕は、わけがわからず……。
 背後から少年の表情をのぞきこむと、恐怖と苦悶とが明滅していた。影丸の危機に少年はあきらかに動揺し恐怖を感じていた。だが同時にかすかに小鼻をふくらませ、まだ包皮の剥けていない小さなペニスを片手で半ズボンの上から押さえ、握り締めようとしている。女の子のエッチな姿ではなく、どうして影丸の負傷に興奮するのかわからず混乱した当時の僕は、そのとき雑誌のページを戻して、影丸の負傷シーンをもう一度読み直そうとしていた。
 このとき僕は、少年のベンチの背後の茂みでズボンを降し、ぺニスを露出させていた。背後に人がけを感じたが、それにかまわずに、もうたまらくなって昔の僕に背後から抱きついた。その小さな体躯を腕にかき懐いて、僕は泣いた。そうだおまえが僕の影丸だ。こうして何度も何度も後ろから刺され、そのつどおまえの膨らんだペニスは子供の頃の包皮にぶつかって苦痛が走ったのだ。
 そうだこの僕が影丸なのだ。僕はまだ泣いていた。こうして何度も何度も後ろから抱きしめられ、後ろからペニスを握られ、自分の肛門に入ってくる異物がもたらす苦痛に思わず怒りの声をあげながら、同時に襲う快感に身もだえした。僕がペニスをしごかれて精液を出すとき、それはまた僕の肛門に精液が中出しされたときでもあった。自分で自分の体をレイプしているような感覚がいつもついてまわった。
 僕は、その子の顔を再度のぞき込んだ。そしてその子の小さな口に、ぼくの舌を入れてすわせようとしたが、この体勢ではうまくいかなかった。その間、その子は、僕が勃起したペニスをその子の股間でこすって、あえいでいることにも気づかず、少年サンデーの影丸のシーンを、涙ぐみながら、興奮して口をあけながら、一心に見つめていた。
 いやもうおまえは影丸ではない。おまえは僕の愛する……。
 てめー、その子になにしやがる、この変態やろう。
 その子の小さな手に、僕の勃起したペニスを握らせ、しごかせようとしたとき、背後から男の力強い手で両肩を捕まれた僕は、そのまま少年と引き離され、そあおりで近くのブランコの鉄の棒に後頭部をしたたかうちつけた。
 ああ、僕の愛する正太郎……。僕の最後の言葉が、僕の最後の精液とともに、力なく漏れた。