現代の友情

 昔から友達などいたことがない私は友情というものが大嫌いだが、幸い、現代の若者たちは友情が壊れているので嬉しく思っている。
 今年のことならいいのだが、2年位前か、夏に大学のホールでエレベータを待っていたら、あとからやってきて並んだ大学生二人が、私の背後で、会話をしている。その一人が「今年の夏がこんなに暑いのは気象庁の人間がさぼっているからだ」と、断言している。? ギャグとしても、よくわからない。もうひとりが、その意味不明なところをついてくるかとおもったら、「うん、そうだね」で終わり。
 しかし、さすがに、ただ同意されても、困ったらしく、もうひとりが再度「今年の夏がこんなに暑いのは気象庁の人間がさぼっているからだ」を発すると、今度も、「うん、そうだね」。
 おいおい、つっこんでやれよ。相手もそれを待っているだろう。だが、おそらく、相手のいうことに疑義をさしはさむこと自体、友情が壊れると心配したのか、ただ同意するだけ。しかし同意すること自体が、友情の崩壊を意味しているとどうしてわからないのだろ。まあ、友情なんて、むかしから、そんなものなのでどうでもいいことだけれど。
 ただ、友情問題については、こんな馬鹿話ではなくて、すこし考えてみたい。とはいえ嫌いな話題だから長続きはしないかもしれないが。
 でも、「今年の夏がこんなに暑いのは、気象庁の人間がさぼっているからだ」というのは、意味不明でけっこう面白いので、使ってみようかしら。