現代の友情考2

 以前、所要のため大阪のホテル、正確には豊中市のビジネス・ホテルに夏、泊まったことがある。朝食はロビーのある一階の喫茶店で出されることになっていた。曜日は忘れたが週日であることはまちがいなかった。トーストと目玉焼きの朝食を一人でついばんでいたら、10人くらいのグループがどかどかとはいってきた。50代から60代からなる、まあ私がいちばん嫌いな年齢層の、くそオヤジやくそジジイの集団である。ただみんなシャツにネクタイで、さすがに暑くて上着は身に着けているものはいなかったが、手にはもっている。
 見る人が見れば、彼らがどういう職業で、どういう用件で、出身地はどこかなど、わかったのかもしれめないが、私にはまったくわからなかった。出身地も、関西の人間なのかどうかも思い出せない。たぶん関西の人間ではなかったような。いや、思い出せない。
 それはいいとして、彼らのうちひとりが、おもむろに、ビールと言い出した。朝の8時だ。そうしてウェイトレスに「ビールある」と聞いている。
 さすがにウェイトレスもめんくらって、「ちょっと聞いてきます」と引っ込み、「あります」という答えとともに戻ってきた。そうしたらその10人くらいの、オヤジ・くそオヤジ集団は、じゃあジョッキでと言い出し、誰もが一人残らず、大ジョッキでビールを頼んだのである。
 これは場所が大阪であるということとは関係ない。朝から大ジョッキでビールを飲む馬鹿に、ウェイトレスも面食らったくらいだから。地元の習慣ではない。ましてやホテルである。彼らも旅行者なのだろう。しかしそれにしても、旅行者としても変である。私の周囲のテーブルにいた客たちも、唖然として、その集団をながめていた。
 彼らの会話から判断すると、これからどこかに見学に行く教育関係者たちのように思われたが、会話の断片から私が勝手に偏見によって推定したことなので、確実なことではない。ただ彼がこれから遊びに行くのではなく、仕事に行くことは、着ているものからまちがいなく言えた。
 だったら朝からビールを飲むなんて、いい大人が。50代から60代なのでそのくらいの常識をわきまえたらどうなのだろうか。いや、みんな酒豪であって、私とちがって、朝から大ジョッキ一杯のビールはお茶がわりだというかもしれない。しかしそうであっても、朝の8時にビジネスホテルの喫茶店でビールをジョッキで飲むのは、常識もないし、みっともないし、馬鹿にみえるし、また彼らの地位とか出身地とか職業・職種に偏見をもたれるかもしれないということを、50歳もすぎてわからないのだろうか。
 いや彼らのほとんどが馬鹿オヤジに馬鹿ジジイであっても、しかたがない。しかし一人か二人くらい、い、止めるとか、叱責しなくとも突っ込むとか、あるいは嘘でもいいから自分やビールは飲まないという人間がいてもよさそうだと思う。私にとっては、馬鹿が多いということよりも(馬鹿は多いものだから)、そうした人間が一人もいなかったことのほうがショックが大きかった。
 なにもいわなくて、同意することだけが友情といいたいのだろうか。
 ちなみに私は、こんな馬鹿連中といっしょに食事をするのは不愉快きわまりないので、食事の途中だったが席をたった。でも、いまになって思うと、もっと冷静になって、彼らがどういう集団でどこに行こうとしているのか、ねばってつきとめてやるべきだった。ちょっと怒りんぼの私だった。



付記 「馬鹿」というのは私の口癖
 昨年、お台場冒険王に子供といっしょに行った。大人にとってはむっとすることばかりだったが、子供(小学生)にとっては面白いことばかりで、とりわけお馬鹿グッズは子供の物欲をひどく刺激したようだった。そんなお馬鹿グッズを買うために列に並んだのだが、それまで順調に流れていた列がまったく動かなくなった。トラブルでも起こったのかと列の先頭をみてみたが、売店の入り口で店員と数人がやりとりをしているのだが、なにか問題が起こっているとは思えなかった。ただずっとそのままである。全然列がすすまない。私の周囲でも、みんないらいらしている。相当の時間、列が止まっていたが、やがてまた動き出した。きわめてスムーズに。あれはなんだったのだろうかということになったのだが、私は、まだ停滞中の列の先頭にむかって、すでに「お馬鹿グッズをほんとうの馬鹿が買いに来ている」と連れに言った。小声のつもりだったのだが、連れからは声が大きいと言われた。べつに何事もなかったのだが。