ボディ・ダブル:『パールハーバー』Peal Harborゲイ映画解説1


▲日本の真珠湾攻撃からアメリカの東京空襲までの歴史的転機を舞台にしてこの映画*1が描くのは男性どうしの友情である。戦争という混乱期を経た友情の固さを確認する物語となってこの映画は、のっけから、いたずらをした男の子を、その子の友人の男の子がかばい、身代わりになるというエピソードではじまる。
▲大人になってからの男性二人の関係は、女性をめぐる三角関係となる。しかし、問題は、それが最初から一人の女性の取り合いとはならないことだ。最初はレイフRafe(ベン・アフレックBen Affleck)とイヴリンEvelyn(ケイト・ベッキンセールKate Beckinsale*2)との恋愛関係しかない。やがてイギリスに従軍したレイフが、戦死したという誤報が入り、レイフの友人ダニーDanny(ジョシュ・ハートネットJosh Hartnett)がイヴリンを慰めているうちに、恋が芽生え結婚にいたる。そこに死んだはずのレイフが帰ってくる。
▲戦中・戦後を通してよく起こったこの種の悲劇は、当然のことながら、ある程度の時間経過がないと成立しない。しかし、この映画では次の恋愛は唐突におこる。それは筋立て上の都合だけではないだろう。この映画が示しているのは、ダニーが死んだレイフの身代わりとなってこの女性を愛したということであろう。ボディ・ダブル。Body double ちょうど映画の冒頭で彼が友人の身代わりとなって罪を背負ったように、今度は死んだ友人の身代わりとなって女性と結婚する。あるいは死者から女性を譲られたのだ。
▲死んだはずのレイフがイギリスから帰還する。レイフとダニーとの関係は当然まずくなるし、さらにイヴリンが妊娠してダニーの子を宿していたことから、レイフとイヴリンとの関係回復は不可能になる。ここですべてが終わるかにみえる。
真珠湾攻撃を生き延びた、これら男女は、今度はレイフとダニーが陸軍航空隊においてドーリットル指揮の東京空襲作戦*3に参加することによって、新たな運命に出会う。それは東京空襲に成功して中国大陸に着陸したふたりのうち、ダニーが、レイフを助けようと、身代わりになって死ぬからである。
▲ダニーとレイフの友情は、女性の存在によって断ち切られたかにみえる。女性はダニーかレイフのどちらかひとりとしか結ばれないから(X or Y)。この選択と排除の原理の前に友情は消える。あるいは女性を相手に譲ることでホモソーシャルな絆を確保できて、友情は固く結ばれるのかもしれない。だがこの友情は同一化の欲望に支えられていない。
▲だが中国大陸でダニーがレイフをかばって戦死したことは、友情の当事者の一方の死によって友情が消滅したかにみえて、二人の友情が永遠に堅く結ばれたことも意味する。身代わりとしての死。それはまさに選択の原理(X or Y)によって引き離されていた二人が一体化したことボディ・ダブルとなったことを意味する(X= Y)。ダニーは自己犠牲によって、レイフとイヴリンを再び結びあわせ、死ぬことによって、レイフとイヴリンの仲だけでなく、ダニーとレイフと仲も確保する。死者と結ばれた友情は永遠に結ばれた等しい。あるいは死者はその死によって、決して返済できない負債を生者にもたらすのだ。
▲映画の終わりに、レイフは、自分の幼い子ども載せて複葉機を操縦している。その子は、実はダニーとイヴリンの間にできた子どもである。その子どもを自分の子として引き取ったのである。イヴリンはレイフと結婚しても、レイフの中に死んだダニーの面影をみているかもしれない(だが、映画はこの可能性を極力減少させている)。だがそれよりもレイフがその子のなかに死んだダニーの面影をみている可能性のほうが強い。その子は死んだダニーのボディ・ダブルである。そしてイヴリンをめぐり、父と息子はエディプス的葛藤状態になるかもしれないとしたら、かつての友情を複製することになる。また父親と息子との対話は死んだ友人との対話ともなるだろう。息子とは死せる友人の生きた姿でもある。
▲かくして子どもの頃の友情は、女性をめぐって破綻をきたしそうになるが、最後に親子関係へと落ち着つくという奇跡をみせる。男の子ふたりの友情は、時代の激変にもかかわらず最終的になにも失われなかった。それは二人の関係が、たえず身代わりになることによって確保されるような、一身同体関係であり、ボディ・ダブルであったからだ。
▲戦争は時代や社会を大きく変える。戦争の前と後では社会も文化も人間関係も同じではない。多くの人びとが死んだ。そのなかで当事者は死んでも友情は永遠に不滅ということは、アメリカの社会が日本の卑劣な攻撃*4あっても、その精神や魂を失うことはなかったという寓意となっているのだろう。だが、真の寓意は、ホモソーシャル関係の不変性のほうである。ボディ・ダブル・ゲームの永続性のほうである。
▲みずからの個としての存在を捨て、他者と融合したい、さらには自己犠牲によって他者を生かしたい、それはその強度が高まるにつれて友情から同性愛へと高まるものであろう。もちろん異性愛においても親子愛などにおいても、同じことは言えるのだが、ある程度までである。異性愛ボディ・ダブルになれない。ボディ・ダブルと同性愛感情との連絡と遮断、それがこの映画の底流にある揺らぎかもしれない。

*1:パール・ハーバーPearl Harbor (2001)dir. by Michael Bay。

*2:この映画にはベン・アフレック以外には、大統領役のジョン・ヴォイトとドーリットル役のアレック・ボールドウィンしか知っている俳優はいないと思っていた。だが調べてみると、それまでにもケイト・ベッキンセールの映画はよく見ていた。この映画以後よりも、この映画以前にケイト・ベッキンセールが出演した映画のほうをたくさんみている。信じられないことだが。なお今回調べてみて、この映画にジェニファー・ガーナー(『エイリアス』『エレクトラ』の)が出ていることを知った。まったく気づかなかった。どこに出ていたのかも憶えていない。

*3:この映画では真珠湾攻撃に対する報復がドーリットルの報復攻撃となったというのは、これまでの戦史にはないアメリカ側の解釈だろう。だが規模も戦果も違うふたつの事件をひとつに結びつけることで、この映画は皮肉にも9.11を思い起こさせることになった。9.11同時多発テロと、アメリカのアフガンとイラク空爆という現実の展開をみるとこの映画はねじれたかたちで現実を喚起する。日本軍の空爆で逃げまどうアメリカの軍人や民間人を見ると、アメリカの空爆で犠牲になったアフガニスタンイラクの人びとを思い描いてしまう。いっぽう病院まで狙う卑劣な日本軍の攻撃に激怒したアメリカが選択したのが、少数のB25爆撃機で、片道燃料で首都東京を攻撃するという、自殺特攻(suicide attack)である。首都ではないが首都と同等の都市ニューヨークを狙った自殺テロ攻撃と同じものを、この映画のなかでアメリカは選択する。この映画を9.11以後に見ると、アメリカ人がアルカイダのメンバーになったような錯覚を覚えるのである。だがもちろんアメリカン人にとっては、アルカイダと想定される同時多発テロそのものが真珠湾攻撃に等しい卑劣な暴挙であろう。卑劣なテロに対しては、かつてアメリカが東京をはじめて空襲したように、一矢報いリヴェンジしたように、アルカイダと同盟を結んだタリバンの地やイラク(こちらはアルカイダとの関係は無根拠だが)を攻撃するのだということになろう。ここで忘れられているのは、アメリカ人が現在では被害者どころか空爆する側にまわっているということである。この映画をみてアメリカの空爆に逃げまどうアフガニスタン人やイラク人を思い浮かべる者のほうが正しい認識をしている。

*4:最近の日本を騒がせたボクシング試合において、選手の出身地や出身国で試合が行われた場合、その選手に有利な判定がでるHome Decisionは当然として、選手を擁護する人間がいたが、そういう事実はあるとしても、それで弁護したことにはならないのだ。なぜならHome Decisionは卑劣な行為だからである。そのような卑劣な行為によってチャンピオンになっても意味がない。「こんなもんじゃよ」と納得しなかった日本人が多かったのはその証拠である。同じく宣戦布告というのは、相手方に通告して記者会見を開くということではなくて、先制奇襲攻撃で始まるのがふつうだから、日本の真珠湾攻撃は卑劣でもなんでもないと正当性を主張することもあるが、そういう事実はあるにしても、それが卑劣な奇襲攻撃であることにかわりはなく、そのようにアメリカ人のなかに記憶されていることこは留意すべきであろう。