ファイナル・アンサー

映画『アバウト・ア・ボーイ*1を見たことがある人なら、映画の冒頭、テレビで放送されているクイズ番組に驚くはずだ。司会者と解等者が一対一で繰り広げるその番組は、四択クイズで、司会者が最後に「ファイナル・アンサー?」と念を押す。そしてあの聞きなれた音楽が響く。そう、そこにはまぎれもなく、みのもんた司会の『クイズ・ミリオネア』が放送されているのだ。


ちなみにクイズの問題とは、「人間は島ではない」と言ったのは、誰か。1ジョン・ミルトン、2ジョン・ダン、3ジョン・F・ケネディ、4ジョン・ボンジョヴィ。英文学が専門の人間なら答えはすぐにわかる。2のジョン・ダン。これは17世紀シェイクスピアと同じ時代に活躍した詩人(のちに聖職者)で、詩の内容は、「人間は島ではない。人間は大陸の一部であり、波が来て大陸からその一部を持ち去るとき、それは自分の身が削られるのと同じことである。教会の弔いの鐘が鳴っている。あれは誰が死んで、誰のための鐘が鳴っているのか、などとのんきなことを聞いている場合ではない。他人の死は、あなたの死と同じ。あの鐘は、あなた自身の死を弔って鳴っているのだ」ということ。


ここまでくると、これはヘミングウィイの『誰がために鐘は鳴る』を思い出す人がいるかもしれない。映画にもなったこの小説のタイトルは、ヘミングウェイジョン・ダンっこの詩の一文から選んでつけたもの。小説はスペイン内戦を扱っているが、フランコ将軍による軍事クーデターと独裁政権誕生を、対岸の火事のようなものとして考えている場合ではない。あれはアメリカ人の自由が脅かされ消滅するのと同じくらいな危険な動きであり、なんとしても阻止すべきだ、とそんな意味を込めているとわかる。


映画のなかで主人公のヒュー・グラントは独身の男性、今風にいうとニートなのかもしえないが、父親の遺産があり働かなくてもよく、独身で優雅な生活を送っている「結婚できない男」である。だが「人間は島だ」と思っているこの男のテレビでは「人間は島ではない」という有名なフレーズがクイズになっているとうい皮肉な結果になる。これが映画の冒頭だった。


ヒュー・グラントは、このとき、この問題は簡単だ、答えはジョン・ボンジョヴィだと独り言をいうが、これは誰もいないのに、ギャグを言って自己満足的に楽しんでいるのか、あるいはほんとうにボン・ジョヴィが正解と思い込んでいる無教養な人間なのか、映画ではどちらともとれて、いまだに決めかねている。


閑話休題。そう、『クイズ・ミリオネア』。イギリスで暮らしていた頃、司会者と解答者が一対一で繰り広げるクイズ番組というのは存在していたので、みのもんたの『クイズ・ミリオネア』が始まったときは、フジテレビがイギリスからぱくったのではと思っていた。


しかしこの映画をみるつけても、パクリは歴前としていて、どうせパクるにしても、音楽とかファイナル・アンサーまでパクらなくてもという思いを強くした。しかし事実は、私など思いもよらぬことだったのである*2

*1:About a Boy, dir. by Chris Weitz and Paul Weitz, 2002.

*2:追記11月8日 これだけだとなんのことだかわからず、誤解が生ずるかもしれないので、コメントを。フジテレビで放送している「クイズ・ミリオネア」は、イギリスの番組をパクッタわけではない。イギリスではその番組のフォーマットを全世界に売り出していて、各国のテレビ局が、けっこう買っている。それがどのようなフォーマットなのかは、わからないが、日本版で見るようなスタジオの雰囲気、四択問題、司会者が「ファイナル・アンサー」と英語で念を押すこと、そして音楽などが決められていることがわかる。毎週、世界のどこかで、そのフォーマットにのっとってこの番組が放送され、司会者が「ファイナル・アンサー?」と念を押しているというわけだ。