Almost Unfamous 無名人の悲哀

親王誕生について批判めいたコメントを掲載した乙武氏のブログにコメントが殺到、ブログが「炎上」したことが報じられた。乙武氏の意見に賛同するコメントも寄せられたのだが、おそらくそれは攻撃を煽るためのフェイクだろう。結局、乙武氏がブログ上で謝罪することになったが、ひどい話である。私は乙武氏がどのようなコメントをしたのか知らないが、問題は内容ではない。内容など関係ない。気に入らない言論を封殺するという行為そのものが絶対に許されるべきものではないからだ。


乙武氏が謝罪したことについては、本来なら言論の自由があり、謝罪などもってのほかだが、右翼屑ファシズムを前にしては、抵抗しないほうがいい。目を血走らせ、鼻水を荒い鼻息とともに撒き散らしたらし、きつい口臭とともによだれを垂れ流して、足元がふらついていながら、バランスの悪さをただ補うため前に全力疾走して、あたりかまわずなぎ倒してゆく発狂した牛のような右翼の攻撃を前にして、それと真正面からぶつかっても意味がない。謝罪でも何でもしていいからやりすごしてもいい。いずれ凶牛右翼は消える。たとえそれが千年先でも消える。消えなければ、この宇宙の意味がない。


幸か不幸か、私に攻撃が向けられることはない。なぜか、ひとつには私が無名の人間であるから。乙武氏はなんといっても有名人である。有名人を攻撃することで、無名の輩が偉くなれる。有名人攻撃は、無名人台頭の契機である。もし相手が無名だとすれば、攻撃されて傷つくのは、無名人ではなくた攻撃するほうである。逆に無名人は、攻撃されることで一挙に有名になる。攻撃する側が分が悪い。


私のような無名人に攻撃が向けられることのない、もうひとつの理由は、私がどんなに攻撃されても謝罪しないことだ。有名人であれば、いろいろ複雑な人間関係や利害関係にからめとられている。謝罪して攻撃をかわすほうが賢明である。自分ひとりの問題ではなく、周囲に影響が及ぶがゆえに謝罪して降伏したほうが賢明である。いっぽう無名の私にはしがらみはない。だから謝罪しない。謝罪しないと攻撃が長期化する。ブログは炎上しても、謝罪しないという事実は残るから攻撃側の負けである。下手をすると、攻撃側への批判が高まるかもしれない。


それにしても私が無名であることは、秋篠宮妃の出産の際に、新聞社がコメントを求めてきたからだ。口で言うほど、おまえは無名ではないのではと、批判されそうだが、新聞社は私がもと教えていた大学(学習院大学)に、私の連絡先を問い合わせてきた。学習院大学の事務室から、私のもとに電話連絡がきた――「産経新聞が出産に際して先生のコメントを求めているのですが、連絡先をお教えしてもいいですか」と。


「私が川嶋紀子さんを教えたのは、彼女が一年生のときの、教養演習のようなもので、私は彼女が所属した専門課程の教師でもなかったから、とくにコメントすることもない。彼女だって、仮に私のことを憶えてもらっていても、なぜ、この教師がコメントするのかといぶかるにちがいない」と、私は答えた。そこで事務室は、わかりました、では連絡はしませんということで、これで話は終わった。


産経新聞が問い合わせてきたのには、わけがある。川嶋紀子さんが秋篠宮と結婚されたとき、産経新聞から突然電話がかかってきて、「先生は紀子さんを教えたことがありますよね」と問われた。実は恥ずかしながら、そのとき私はそのことを忘れていた。しかし記者の問いかけで、あざやかに記憶が蘇った。当時、大学一年、二年生向けの演習に川嶋さんは、同じ心理学科の女子学生二人と履修していて、いつも三人で仲がよさそうだった。演習だったから、授業の際に、扱っている題材についての研究発表をするのが参加者全員の課題。そう、いまでも憶えているのは、演習だったけれども、机を四角形にならべる通常の演習室が使えず、講義形式の机の配置の部屋を使っての授業を余儀なくされ、研究発表者はその場で座って発表するのではなく、前の教壇のところで、全員にむかって立って発表をしなければいけなかった。私は、心理学科の仲良し三人組(川嶋さんはそのなかでは中心的立場にいたと思う)が教壇のところで三人並んで順番に発表をしているのを聞いている。北一号館の三階だったか……。


記者の指摘で記憶が蘇った私は、そうでしたね、と、返事をした。すると記者はそのときの授業で提出された紀子さんのレポートのようなものはないかと聞かれた。しかし、もしあったにしても、本人の了解をとらずに勝手に渡すわけにはいかないし、そこのところ面倒くさそうだったから、レポートはもう保管していない、と、そう答えた。


あと記者は、雑談風に、その頃の紀子さんのようすはどうでしたかと聞いてくるので、よく憶えていはないが、悪い印象はないので、とてもまじめでよいお嬢さんでしたとかなんとか、あたりさわりのないこと、けれども決して嘘ではないことを答えておいた。


実は、そのレポートの件は、問い合わせの中心的な用件であるかにみえて、実はどうでもよく、紀子さんへの私の感想を引き出すことにあったのかもしれない。私にとっては、中心的用件がすんだあとの雑談で話したことが、むこうにとっては中心的用件であったかもしれない。結局、雑談で話したことが産経新聞に載った可能性がある。ただし私の元に掲載紙が送られてきたことはなく、何人かの人に私のコメントが載っていたよと指摘されただけなので、確かなことではない。掲載されなかったのかもしれない。


ただ産経新聞は、私のことを憶えていて、学習院大学に問い合わせてきたのだろう。


しかし私の無名ぶりも際立ってはいないだろうか。


所属大学が変わったのに、移った先の大学のほうに連絡が来なくて、もといた学習院大学のほうに問い合わせがくる。また私が、いかなる政治団体や組織にも所属していないことは確かだが、私の政治的文化的スタンスは左翼である。産経新聞にコメントなど絶対にしないし、産経新聞だって、私にコメントなど絶対にもとめないはずなのに、悲しいから無名人、コメントを求められてしまった。おのれの無名性を恥じるばかりである。


なお川嶋紀子さんの学生時代のレポート(評価は「優」)は、あれから探してみたところ……。