ボディ・スナッチャー


映画『太陽』が話題になったとき、日本人が見ても違和感のないつくりであったことが、共通の認識となった。それにくらべればと、話題に登ったのが昨年の映画だが映画『さゆり』であった。


中国人の女優が主要な芸者すべて独占するこの映画は、日本人から見て中国人から見ても違和感のある映画そのものであろう。これはアメリカの幻想のなかの日本であって、アメリカ人がアメリカ人のためにつくって楽しんでいる映画で、この幻想と欲望は日本人とかアジア人にみせてはいけないものなのだ。事実、このような日本物映画は量産されているが、ほとんどがB級で、日本人に見せるのははばかられるか、日本人もわざわざ金を払って輸入しないかのどちらかであるため、日本でおめにかかれることはほとんどない。


そんな映画に、私はイギリス滞在中に出会ったことがある。場所はミッドランド。ロンドンには近いといっても田舎である。民放局の深夜番組で映画をやっている。ヨーロッパ各国のB級映画を堪能できるのだが、しかし、ほんとうにB級にもならないC級映画は、見た後もあまり満足感はない。まあ深夜の枠で予算のないなか、そんなしょうもない、おまけに中途半端に古い映画しかやっていないのだが、それをみている私も暇な人間だった。


たまたま見たのはアメリカ映画のうち、日本を舞台にしているものがあった。アメリカの田舎町で歌手を夢見ている若い女の子が、オーディションに受かり、東京のナイトクラブで歌手として仕事ができるようになるが、日本についてみると、そのナイトクラブは、日本のヤクザが経営するストリップ小屋で、しかも踊り子たちは売春行為を強要している。そして彼女と同じように騙された白人の女性たちがたくさんいる。ヤクザの親分の息子と仲良くなった主人公のアメリカ人女性が、その息子の助けを借りて、この場所から抜け出すという話であった。


ミッドランドの片田舎で誰もが寝静まった深夜ぼんやり見ているとわびしさがつのってくるような、そんなひどい映画だった。


見覚えのある日系人俳優が二人くらいいたが、あとは知らない俳優ばかり。主人公の女の子と仲良くなるヤクザの息子は、日系の二枚目俳優(それまで私は見たことはない)なのだが、その日本語の台詞の話し方からすると、日本語は全くできないことがわかる。端役の子分たちのほうが、きちんとした日本語を喋るというのは、面白かったが、でも、それもだんだんわびしくなった。


最後に、ヤクザの親分や死に組織は崩壊、主人公を助けてくれた息子も死に、一人残った彼女が解放されて日本を去る。


ここでは日本あるいは東京の暗黒街が人身売買の温床という描かれかたをしている。被害者は女性で、アジア系でなくて欧米系の女性たちである。この設定は、たとえば西部劇で、男性が拳銃を腰にぶら下げている風情のごとく、まったく自然なかたちでなじんでいるのが気になった。こうした映画をわざわざ輸入する必要はないが、アメリカで住んでいる日本人たちは、この種の映画を研究して報告してもらいたいと思う。そして時には描かれかたがステレオタイプであると批判すべきである。このことは日本にいるとわからない。


つまりこの映画では、日本は人身売買の国であり、白人ですら、安心して旅行したり住んだりできないというのが、まさにステレオタイプになっている。ところで日本のドラマで映画で、あるいはメディアで、たとえばヤクザがらみの人身売買問題が話題になることがあるだろうか。おそらく皆無に近い。これは1)あまりに日常化していて問題にされないか、2)人身売買はあってもごくわずかで話題に上ることもない。そのふたつであろう。1)の場合は、不気味だが、しかし日常化している、あるいは国際社会からその人権侵害を指弾されるほど蔓延しているとは思わない。


だがアメリカ人はむしろ、日本こそ人身売買の国で、その人権侵害は、国際社会による非難に値すると考えている*1。これはおかしい。いや日本に人身売買がないなどとは思わないが、しかし日本の社会でこれが深刻な話題となってワイドショーにとりあげられることもない。摘発も少ないのでは。それは事例が少ないからだと思う。いや、お前は現実を知らないといわれそうだが、しかしアメリカの勝手な幻想に左右されるのはまちがっているといいたいのだ。日本には輸入されないB級C級日本物映画、それも日本語をろくに話せない日系俳優を使い、低予算でアメリカで撮影し、日本人には恥ずかしくて見せられないような、そんな映画のなかでのの、「日本=人身売買の国」という定式を無批判に踏まえているようなアメリカの外交認識に、私たちは批判をつきつけてもいいのだ。日本の現実などまるで知らないし、知らなくて当然のアメリカの大衆文化が抱く幻想が、まるで現実の反映であるかのようにして、アメリカの政策決定者にまで影響を及ぼしている。これは怖いことではないだろうか。

そういえば『さゆり』、あれはまぎれもなく人身売買の映画だった。芸者のテーマを通して日本を人身売買の国として固定しているのである。

*1:2006年人身売買報告書。国務省人身売買監視対策室より6月5日、「2006年人身売買報告書 (Trafficking in Persons Report)」が公表された。この報告書は、人身売買撲滅に対する世界各国の取り組みをまとめたもので、今年で6年目なるという。日本政府の取り組みについては、「人身売買撲滅のための最低基準を十分には満たしていないが、満たすべく著しい努力をしている」と報告されている。