世の習い


ムフティーというのは何か、ご存知だろうか。平凡社世界大百科には「ムフティー」という項目があり、以下の説明がある。

ムフティー mufti(iにはアクセント記号の「 ̄」が入る)
イスラム法の解釈・適用に関し意見を述べる資格を認められた法学の権威者。シャリーア法廷のカーディー(裁判官)は,重要あるいは困難な問題に判決を下すに当たってムフティーの意見を求め,後者は必ず文書で意見を提出する。これをファトワーといい,カーディーはそれに基づいて判決を下す。カーディーのほかマザーリム(行政)法廷,君主,個人もムフティーファトワーを求めることができた。ムフティーの制度はアッバース朝時代に自然にできあがり,オスマン帝国にいたって,各州,地区,都市にムフティーを任命したが,イスタンブールのムフティーはシャイフ・アルイスラームとして,全国のカーディーとムフティーの任免権を握ったほか,そのファトワーで支持されなければ,スルタンも国政を遂行できなかった。ムフティーはカーディーと違って,イスラム法学の造詣が深ければ,婦人や奴隷や身体に障害のある者でも,その職につくことができた。(嶋田 襄平)

このことは知らなくても、べつに恥ずかしいことではない。一般には知られていない(だから百科事典の項目になった)。


またこのムフティーによって出されるファトワーのうち、私たちが良く知っているのは、たとえばサルマン・ラシュディー死刑宣告である。


ちなみに、イギリスの王政復古期の演劇の最後を飾るとも言ってよいウィリアム・コングリーヴの『世の習い』という喜劇*1には、このムフティーという言葉が出てくる。昨年、出版された岩波文庫の翻訳(笹山隆訳)では、別の言葉に言い換えていたが(p.149)、まあそれは日本語の翻訳としては当然のことだろう。重要なのは、コングリーヴが、また当時のイギリスの上流階級の貴族や知識人たちが、この言葉を知っていたということである。たとえコングリーヴがみずからの知識をひけらかそうとしたとしても、一部の学者とコングリーヴしか知らない言葉は、戯曲の台詞には使われなかっただろう。その意味で、当時のイギリスは、あるいはヨーロッパは、世の習いとして、アラブ・イスラム圏について、よく知っていた。少なくとも「イスラム教徒」を21世紀になっても「回教徒」と訳している「恥ずべき名誉白人」である人間にくらべたら。

*1:William Congreve, The Way of the World,1700.