メデューサ効果

rento2006-09-20



 筒井康隆の「日本以外全部沈没」を読むために、電子ブックの文庫版をダウンロードしたことを先に書いたが、そのときいっしょに『小松左京短編全集2 影が重なる時』も購入した。表題作「影が重なる時」は、昔読んで、ひどく感銘を受けた作品であり、収録作品の多くも初期の小松左京を代表するものばかりだった。暇なときにもう一度読み直してみようと思ったのだ。
そしてはじめから読んでみた。「痩せがまんの系譜」という作品が冒頭に置かれている。タイトルには記憶がある。ただし初めて読むような印象をうけたので、内容は忘れていたのかもしれない。1963年に発表された短編である。気になることをふたつ。


1飲酒運転の問題
私の周囲には、飲酒したら運転しないということを絶対の規則としている人たちがふつうに存在しているため、飲酒運転というのは最大の悪であると子供の頃から思っていた。そして過去のこうした厳格なモラルが、近年薄れてきたのではないか。これは前に書いたことだ。
 ところがこの作品を読んでいたらこんな場面にぶつかった。

この三月に買いかえた新車のミニカーで、叔母を送ったかえり、なんだか無性にのみたくなってきた。スーツで止り木でもあるまいと思ったので、面倒だったが一たんアパートにかえってふだん着にきかえ、ふたたびハンドルをにぎった時は、もう街には灯がはいっていた。フロントガラスにポツンツと雨の粒がはじける。みるみるうちに車の屋根がなりわたるほど土砂ぶりになって、ヘッドライトの中を通行人が蜘蛛の子をちらしたようにかけぬける……。

この主人公の女性は、赤坂の行きつけのバーに車をとめ、そこでいつものとおり水割りを注文する。このバーで変な男に声をかけられる事件があり、それが原因で悪酔いした彼女は、

うわばみの雌ぐらい、酒には自信があったが、その夜は珍しくベロベロになってミニカーをあずけ、タクシーでアパートまで帰った。

泥酔したためタクシーで帰ったのはいいのだが、もし泥酔せず、水割り3杯くらいで店を出たら、そのまま自分の車を運転して帰宅していたのはまちがいない。これこそ今問題になっている飲酒運転ではないのか。
 いくら酒に強くとも判断力は麻痺している。運転すれば事故につながる可能性が高い。1963年のことである。これがきわめて当然の日常的な出来事として語られているのに寒気を覚えた。おそらくその後、飲酒運転への規制が厳しくなったのだろう。現代だったら作者は、このようなことを書くことはないだろう。
 そしてまた1963年の時点で、飲酒運転が日常化している以上、その習慣に染まっていた者は、それから抜け出すのは難しいだろうとも想像がつく。かつてあった飲酒運転の日常は怖い。


2女性の肉体の問題
 小松左京のこのSFは、タイムパラドックスも含む時間旅行物で、よく出来たSF短編である。小松左京はその壮大な想像力と博識博学を活かして重量級のSF作品あるいは正統的SF作品をものし、文学性も高く、当時のアメリカのSFに十分伍していける、いやそれ以上の水準の作品を書ける作家として高い評価を得ていた。筒井康隆はSF界では傍流で主流派小松左京であった。
 そのSFへの真正面からの取り組みは、SF作品のなんたるかを体現するものであり、今回のこの作品も、軽いタッチながら、正統的なSF的作品の世界を申し分なく伝えるものであった。そしてそのぶん、古さを感じた(筒井康隆の作品にはそのようなことはない。皮肉なことだが傍流のほうが息が長い)。
 未来の世界において文明が爛熟するにつれ、人間が軟弱化して文明が退廃の危機を迎える。宇宙開発などに必要な忍耐強く目的意識を失わないような強固な意志を持つ人間が少なくなるのだ。この危機を打開するために、未来の人間はタイムマシンを駆使して、1960年代の日本の女性と江戸時代の武士とを結婚させて、痩せがまんにもできるような強靭な意志をもつ一族をつくろうとするのである。
 昔はこんな話を面白いと思っていたのだと、思わず赤面してしまう。そもそもこれは、女性の肉体、とりわけその生殖機能を基軸にした対処法によって、文明の危機を回避し、文明を活性化しようとするボディポリティクにほかならない。それも恥ずかしげもなく男根中心的父権的欲望をあらわにしたボディポリティクス。
 女性の肉体、その生殖能力の搾取によって、守ろうとするのは父権性的価値観であり諸制度である。文明が爛熟し人間が軟弱になったとき、進取の気質や征服への情熱が欠落するがゆえにそれを危機とみなすのは、父権的価値観以外のなにものでもない。いいかえればそれは文明の女性化を危機とみなすことである。
 そしてさらにいえば、男性文明の危機は女性が結婚しなくなることである。この作品の主人公は、デザイナーであり、婚期を逃し、このまま結婚しないキャリアを積む女性となることは確実であった。その女性に結婚させ子供を生ませるのである。女性の社会進出を阻止し、産む性へと還元したうえで、文明の救済者として祭り上げること。ジャンヌダルク
 いや、わたしはこれをメデューサ効果と呼ぶ。
 メデューサとは、ギリシア神話で、ゴルゴン姉妹の末の妹で、髪の毛は蛇ででき、その眼差しによって見る者を石に変える怪物である。彼女が住む洞窟の周囲の岩はそうして石となった男女や動物からできている。ギリシア神話では、彼女は鏡をもったペルセウスに退治される。以後、ペルセウスは、お守りとして、メデューサの首をその盾につけて飾った。恐るべき怪物を退治して、その怪物を守り神にすること。
 これこそ父権制が行ってた防衛策であった。みずからを脅かす者たちを、みずからの守り神とすること。