ナイトメア1

 目が覚めると、私の足元のところで男性が立てひざですわってダンボール箱に荷造りをして、伝票らしきものを書いている。机に向かって座ったまま、うたた寝をしたらしい。いやうたた寝とはいえないほど、長く眠っていたのかもしれない。いずれにせよ、お客さんが来ているというのに、椅子で眠っているのは失礼で恥ずかしいことなので、目覚めの余韻にひたっているどころではなく、一刻も早く、頭をさえた状態にもっていこうと、意識を集中した。
 周囲の本棚に目をやると、本棚の密度感が薄れていることに気づいた。ふだんは本棚に本を立てて並べると同時に、それらを棚板の奥に追いやり、棚の前面には本を横に置いている。横に置いた本は棚の幅いっぱいに積みあがるので、縦に置いた奥の本は背表紙も見えなくなる。見えない本は、どんどん忘れ去られていく。そのためにも時々本棚を整理しないといけないのだが……。
 いま目の前の本棚には本が立てて並べてある。本と本との間にはかなり隙間がある。本の背表紙を見ながら、私はマルクスの全集なんて最近はひきとってくれる本屋などないのだろうと、ひとりごちた。
 その瞬間、私はすべてを思い出したようだった。いま熱心に書類に記入しているこの男性は古書店から見積もりに来たのだ。いや、見積もりどころか、本をごっそり買い取ったのだ。
 成果はどうでしたか、と、私はその男性に聞いてみた。すると、ええ、今日はいい買い物をさせてもらいました、という答え。
 その瞬間、悔恨と怒りの念がこみ上げてきた。私の蔵書は、洋書と和書の混合で、奇こう本の類は一冊もない。ただ、それでも今では珍しくなったり入手不可のあったりする本はあるはずだ。それを私になんの断りもないし売り払ってしまうのか。なぜ眠っている私を無理やりでも起こさなかったのか。
そうすれば、ひきとってもらっては困る本と二束三文で売り払ってもいい本とを指示できたのに、こんな椅子に座ったままの爆睡では、手も足もでないではないか。
 取り返しのつかないことが起こったらしい。もうどうにもならないのだ。私は多くの本を失ったらしいことがわかった。どうしてこんな馬鹿なことになったのか。どうして起こしてくれない。どういう嫌がらせなのか。
 私は古書店の男性に総額いくらになったのか尋ねた。10万円と聞こえたが、100万円だったのかもしれない。それなら買い戻せるかなと、心の片隅にかすかな希望がわいてきた。しかしもとはといえば自分の本だ。それをまたなんで金を払って買い戻すのだ。いやおそらく古書店では購入したときに払ったお金よりも高い値段をつけてくるだろう。販売価格は、50万円から300万円くらいになっていておかしくない。
なぜだ、どうしてなのだ。怒りと困惑、悔悛と憤怒、喪失感と脱力感、希望亡きこれからの人生。そうしたものが一挙に、私に押し寄せてきた。私は、本を読むのは嫌いだが、本を集めるのは好きだなのだ。だから大学の教員になれたのだ、その私から本を奪うなと、大音量で叫んでいた。
 そのときほんとうに目が覚めた。


 この悪夢そのものは、最近、はてなダイアリーブックファーストの古書査定がどうのという話題でにぎわっていたことから、生じたものであることはまちがいない。私自身、本を売ろうとしてはいないのだから、私の日常の行動の反映ではない。フロイトは、夢のことを願望充足だと語ったのだが、もしそうなら、この悪夢はいかなる願望をあらわしているのか考えると、そちらのほうが怖いような気がする。
 ちなみにこの夢では私は自宅で長時間うたた寝をして、誰も起こしてくれないとこぼしているようだが、私に家族はいないので、この夢の空間自体が、ありえない空間である。あるいは死者の国なのか。また、蔵書喪失が、夢のなかで、いくら激怒と落胆の対象となったとしても、それが願望充足としたら、願ってはいけないことを願い、しかも眠っている間に、すべてのことが終わっているということなのか。私の怒りは、望んではいけないことが成就したことの裏がえしかもしれない。