ナイトメア 2

 以前、母と妹が、東京にいるはずの私に名古屋で会ったかと思った、そんな体験を話してくれたことがある。母と妹は、前を歩いている人物(正確には、その後姿)が、私にそっくりだと気づき、東京から予告なしに突然帰ってきたのだと考え、あとを追いかけたら違う人物だった、と。
 人間誰しも、そっくりな人物はいるものだということだが、私が前にいた大学で、ある日、副手(いわゆる助手とか秘書と同じ役割をする)のひとりが私に、文学部長室から来るようにという伝言をもらったというので、呼び出される心当たりがないままに赴いたときのことである。「X先生〔私のこと〕、何か用ですか」と言われたので、「あのう、用があるから来るようにいわれたのですが」と私が答えると、文学部長室の秘書は「それは英文科のY先生のことです」という。そこでわかったのは、英文科の秘書が、私をY先生と間違えたということだ。文学部長室の秘書が私の顔と名前をよく知っていて、英文科の副手が同じ英文科所属の教員のことをまちがえるとは。
  まあ、いいだろう。このときふと思いついた。私とY先生が似ているのかもしれない。ちなみにY先生の奥さんの実家が、名古屋の私の実家の近くだということを前に聞いたことがあった。奥さんの実家も、私の実家も、地元の同じ銀行を使っていたことも判明した。ひょっとしたら、母と妹が出あった私のドッペルゲンガーは、奥さんの実家に来ていたY先生だったのかもしれないと思ったが、真相はわからない。
 私のそっくりさんと言われる人物は、教立大学(仮名)の英文科にいる。私の後輩にあたるZ君(そこの教員だが)である。以前、その大学に非常勤で教えに行ったことがあったが、Z君は、そっくりねたで話をつくりはじめた。
  いわく、Z君が、英文科の事務室に立ち寄ったら、ほかの先生から、ああ、X先生〔私のこと〕と呼ばれたとか。もっと傑作なのは、ある学生がZ先生の授業を取った翌年、X先生の授業をとるべく、教室に赴いたら、驚いた。そこで教務係に抗議に行った。違う先生の違う授業を取ろうとして教室に行ったら、同じ先生が教えていた。この授業案内にはまちがいがある、と。
どれもZ君の作り話だろうが。
 私の大学の英文科の主任教授の退官記念パーティがあり、そのときZ君と同席したことがある。パーティは英文科主催であり、受付の助手に、私は、実は、今日のパーティに私のそっくりさんといわれている人が来るんだと話したら、助手は、不信そうに並んでいる列を眺め、すぐに遠くにいたZ君を指差して、先生とそっくりなのはあの人でしょうと、たちどころに言い当てた。そっくりですね、遠くにいてもすぐにわかりますよ、と。
  Y先生よりも、Z君のほうが、私に良く似ているのだろう。そしてそのことで、お互いに迷惑している。つまり自分のそっくりさんがいるということは、鏡を通してしか見ることのできない自分を、まるで自分が俳優にでもなったかのように3次元映像として見るという特権的な経験を有することだが、でも、それは相手が、かっこいい人間のときは、けっこう喜びかもしれないものの、かっこ悪いときには、苦痛以外の何者でもない。いや同じことはZ君も私に対して、思っているかもしれない。おまえのほうこそ、かっこ悪くて、自己嫌悪に陥るぞと、言われることはまちがいない。
なんという悪夢。だがこの悪夢は、現実のことなので、ここから覚めるわけにはいかないのだ。


 本日、前に書いたのと同じ病院へ地下鉄で行った。今度こそ、位置関係をしっかり把握しておこう。そのためには列車の進行方向を改札口から出ても忘れないことだと肝に銘じたが、地上への出口となる階段を昇っている頃には、進行方向がわからくなった。今回は、どこを曲がって、どう行けばいいのか言語情報としても道筋を記憶していたので迷うことはなかったが、それにしても、わかりにくい。あとで帰宅してから紙に描いて復習をしないと空間認識は不可能だった。悪夢じゃ。