Dirty Pretty Things

 最近はわけのわからない事件が多い。


 ある女性が自分の娘を殺した。しかし警察は、それを事故と認定。娘を殺した母親にしてみれば、警察が誤った認識をしてくれたので、一安心。殺人の容疑がかからなくて安堵するところ、自分で殺しておいた娘のことを、これは誰かに殺されたのだと主張し、それだけではすまずに、娘の幼馴染の近所の男の子を殺すにいたる。こうなると前の事件も、やはり事故死ではなくて、母親(実は犯人)のいうとおり殺人事件ではなかったかと、警察に非難が集中。結局、前の事件の洗いなおしと、新しい事件の捜査がおこなわれ、母親が男の子の殺人犯として逮捕され、自分の娘の殺害も自供。


 しかし、殺人を事故と断定した警察の間違いは批判されるべきだとしても、その間違いが(つまり殺人ではなく事故死と断定したこと)が、第二の殺人を生むというのは、通常上では考えられない。


 殺された男の子は目撃者であったという説もある。これならば動機はわかる。


 また母親は娘が事故死と断定されたにもかかわらず、警察からもマスコミからも疑われて、和歌山ヒ素事件と同じく、警察車両と取材陣が連日、自宅周辺につめかけていた。これをかわすために、自分は犯人ではなく、被害者なのであり、自分や自分の娘さらには近所の子供に恨みを持つ犯人が別にいるのだということをアピールするために、隣の男の子を殺したのか。それならば半分くらいはわかる。だが、それよりもおとなしくしているほうが自分の身の安全は守れる。


 あるいは不注意で娘を事故死させたという汚名を嫌い、あれは殺されたのだということを証明しようと、隣の男の子を殺したのか。これはなら動機としてもある程度わかる。だが最初の事件から注意をそらそうと二度も殺すというのは相当の度胸である。


そして以上のことについて、警察、メディアな何一つ満足のゆく説明を出してくれていない。


おそらくこうした事件の最たるものは北朝鮮拉致事件だろう。


だが今回、もうひとつわけのわからない事件が起きた。徳島の臓器売買事件である。


私はこの記事を最初に読んだとき、内容が頭に入らず何度も読み返した。


たしかにこの事件は、おかしいのである。借金が払えない人物が、自分の臓器を売るなり、売るように脅されのなら、おぞましいことではあるが、話はわかる。取立て屋が、てめ〜、払えないなら、腎臓売って払えと脅すということは、いかにもありそうなことである。


ところが、今回の事件は、借金が払えない側ではなく、金を貸したほうの側が腎臓を提供した。????


たとえていうなら、取立て屋が、てめ〜、借金払えねんなら、俺の腎臓持ってけというようなものである。わけがわからない。


北野武監督のヤクザ映画のなかに、実にあっけなく自分の命を差し出すヤクザが登場して、なんともいえぬ狂気の影をにじませ、不気味だったが、それと同じなのか。


 わたしたちの期待の地平の彼方での事件で、新聞記事を理解するのに何度も読み返さねばならなかった。人間関係がなかなか把握できなかったのだ。金を借りている側が、いま自分の夫が腎臓の病気で困っている、そこであなたの腎臓を提供してくれたら、借りた金200万円とさらに300万円を上乗せして返すと持ちかけたのである(この事件、はじめて知る人、これだけではなんのことかわからないでしょ)。


 しかし200万円程度の借金が返せない人間が、あなたの臓器を300万円で買い取ろうと持ちかけたということだが、300万円で腎臓を提供されたら、そのあとで借りていた200万円も返せるようになるというのも、変な話である。繰り返すが、金を貸した側は、返してくれなくて困っていたかもしれないが、だからといって自分の腎臓を差し出すのか。ほんとにどちらが金に困っているのかわからない。


 まあ、金を貸し、腎臓も提供した女性は、弱い性格で、金(さらに腎臓)をたかられっぱなしで、今回も、嫌といえなかったということだろうか。ようやく事件の全貌がみえてきたものの、それによってわからないことがさらに増えた。


 なおテレビでは腎臓売買はアジアの貧民の間では日常茶飯事化していて、金のために腎臓を売ったという現地人を何人も紹介していた。腰のあたりにある深い切り傷が手術の跡である。


 【以下 映画の内容のネタバラシのため、映画を観ていない方は、観てから読まれることをお勧めする。Spoiler】


 先に紹介した『キンキー・ブーツ』でドラッグ・クウィーンを演じたチーウィテル・エジョフォーは、オドレイ・トトゥとの共演で『堕天使のパスポート*1という、きつい映画で主役を演じていた。残念ながらオドレイ・トトゥのほうが有名で、宣伝とかポスターなどでは彼女が主役扱いであった(公開時に宣伝で来日したのも彼女である)。


 不法移民としてロンドンで生活しているエジョフォー(実はナイジェリアの医師だが、政治的陰謀に巻き込まれ殺人犯の濡れ衣を着せられて逃亡、その後、身分と名前を偽ってロンドンに潜伏中という設定である)は、夜は高級ホテルのフロントでアルバイトをしているが、客室のトイレが詰まっているという訴えに、部屋のトイレを確認しに行くと、そこには人間の心臓が詰まっている。


 最初、なにが詰まっているのかわからない彼が、棒のようなもので塊をつっつくと、見るまに血がにじんでゆくという衝撃的な映像もある。その便器に手を突っ込んで心臓を取り出して、それをホテルの支配人のような人物に見せに行くと、事を荒立てるなといわれ、黙っているように言われる。なにかがおかしい。


 そしてある日支配人の事務所で、黒人の老人ふたりがいて、いっぽうが苦しんでいる。不審に思ったエジョフォーは、英語が通じないその黒人の老人の体を見ると、わき腹がぱっくりあいて、中から内臓が半分飛び出している。すぐに救急車を呼ぶように言っても支配人はとりあわない。どうやら老人が死ぬのを待っているようなのだ。


 そこでエジョフォーは、べつの場所に老人を連れ出し、そこで医者として応急手当を施す。そしてそのことがきっかけで彼の身分があきらかになってゆく。


 結局、ロンドンの高級ホテルの一室で夜毎、臓器売買が行われていたのである。


 わき腹の傷は、腎臓摘出のときに出来たものだ。これは金に困ったアフリカ系移民たちが、腎臓を売りに来る。するとホテルの一室で、まともな設備も器具もない状態で、腎臓を取りだされ、金銭もしくは偽のパスポートを受け取るのである。


 この恐るべき事実を主人公は知るのだが、同時に、彼の恋人ともなるトルコ系の不法移民のオドレイ・トトゥが、移民局に目を付けられ、また過酷な労働にさらされ、嫌気がさして、姉のいるアメリカに行こうとする。お金は自分の臓器を売ってつくり、あわせて偽のパスポートも入手する。


 もちろん主人公はそんなことをさせないようにする。だが支配人に弱みを握られている彼は臓器摘出手術に協力させられ、いっぽう彼のことを誤解したオドレイ・トトゥはみずから進んで臓器摘出を願う。絶体絶命のピンチのとき、主人公は、彼女の臓器を摘出すると見せかけて、支配人を眠らせ、支配人の腎臓を摘出して業者に渡して、金をもらう。あっぱれな行為で拍手喝采だが、それにしても悪者の臓器を売るとは。そしてその金とパスポートで、彼女はアメリカに、彼はナイジェリアに帰ろうとする。


 腎臓はふたつあるから、ひとつ摘出しても命に別状はない。しかし、彼がオドレイ・トトゥに臓器提供をやめるようにいうのは、彼女がキリストの血をひいている(映画『ダヴィンチ・コード』を観よ!)からではない。病院ではないところで非合法の摘出手術を受ければ命を失うかもしれないし、その後も重い後遺症に悩まされるかもしれない。医師としては、腎臓摘出をすすめられないからだ。貧しいアジアやアフリカの人びとが、腎臓を売ることで金を得ている現実は、嘆かわしいことだし、そもそも臓器移植そのものが、臓器売買ビジネスを誘発させ、多くの人間の健康を犠牲にして一握りの人間の命を支える怪物的メカニズムをつくりあげている。


 今回の事件で、徳島の病院で腎臓移植を担当した医師は、べつに非合法的なことをしたのでもなければ、臓器売買にかかわっていたわけではないが、カリスマ医師というわりには、仕事中にインタヴューに答えている姿は、医療関係者というよりも、どうみても田舎の土建屋じみていた。一度、捕まえてきて、腎臓をとってやれば、腎臓の一個の生活のつらさがわかるだろう。

*1:Dirty Pretty Things(2002), dir. by Stephen Frears (監督の最近作はヘレン・ミレン主演のThe Queen(エリザベス二世のこと)だが、どんな出来になっているのか)、Chiwetel Ejiofor, Audrey Tautou出演。