ナイトメア 6


 真昼の暗黒。本日、大学に行くために電車に乗った。12時27分。これでいくと大学への到着時間はどんなに遅くとも午後1時5分。1時10分からの授業にはじゅうぶん間に合う。


 しかし12時30分を過ぎた頃に、人身事故のため停車しますとアナウンスがあった。列車は駅と駅の中間で止まった。私はこの路線を長年利用しているのだが、だいたいいつも眠っているため、外の景色をみてもよくわからない。しかしもちろん、そういううかつな人間は私くらいで、乗客のなかには、下板橋の手前、あそこにあるのが東武東上線の車庫だからと正確な知識を披露している者もいた。


 人身事故(どこの駅かは言っていない)があり、線路に挟まった列車を撤去中だという追加のアナウンス。しかたないな、踏み切りの多い路線では人身事故は免れないと思う。実は、私が利用する駅からは地下鉄でもいける。もし本日、遅刻していたら、人身事故で東武線が止まっていることがわかる。そこで地下鉄に乗るしかなく、そうした今頃は池袋についているはずだった。


 やがて列車は動き出した。しかしすぐに止まった。そして車掌から、いま運転手からの連絡で、列車の制動がきかなくなっているので、再び停車することにしたと連絡がはいったとアナウンス。そしてつぎの瞬間、車内の電気が消えた。冷房も消えた。

 ふたたびアナウンス。現在、パンタグラフを降ろしました。冷房も切れましたので、お近くの窓を開けて、風通しをよくしてくれという。今日は、少々蒸し暑い。そして次のアナウンスに私は唖然とした。


 現在、警察の実況見分が行われています。いましばらくお待ちください、と。私のいる車両からも、警視庁の警察官、消防庁の職員の姿が多数見えはじめた。連絡をとりあっているトランシーヴァーの音が聞こえる。


 そう、事故を起こしたというか、事故に巻き込まれたのは、私が乗っているこの車両だったのだ。そしたこの車両にぶつかってか、下敷きになって、人が大怪我をしたか死んでいるのだ。


 しかしまた人間の命のなんというあっけなさ。というのも、この列車、ぶつかった衝撃などまったくなかった。駅に接近していたのだから、速度は落とすのだろう。車掌ののんびりした声で、ブレーキをかけますというアナウンス。列車はゆっくりととまった。人身事故がここで、起こったとは夢にも思えなかった。


 結局、列車が動き始めるまで1時間、車内に閉じ込められた。もっと閉じ込められる場合もあるのだから、楽なほうかもしれない。ただし列車は下板橋の駅でとまって、先には動かない。終点の池袋駅がこみあっていて、現在、入れない。順番待ちであって、いつ動くかわからない。急行だけれども、各駅停車駅の下板橋駅でいったんドアをあけるというので、私はそこで下りることにした。


 大学へ休講の連絡をした。タクシーかなにかつかまるかもしれないと思ったが、駅近辺にタクシーは一台もみあたらない。有楽町線が併行して走っているので、その駅をみつければ池袋に行く、もしくは帰宅できる。しかし結局有楽町線の駅はわからないまま、池袋まで歩くことにした。たいした距離ではないし、池袋のビル群を目印にすれば、道に迷うこともない。結局、授業もなく、そのまま帰宅することにした。


 考えた。自分が乗っているものが、まったく自分であずかり知らぬうちに、人を殺している(自殺で飛び込んだとしても)。衝撃はまったくない。結局、私たちは組織の中にいて、多くの人間を踏みにじってきた。組織にいれば、逆に、自分が人を殺しているという罪悪感からまぬがれることができる。本日、どういうかたちの人身事故だったのか、真相はつかめていないが、理由はなんであれ、私の存在は微々たるものでも死に加担したのだが、罪の意識も、加担したという意識も全くない。衝撃を抑圧しようとしたのではなく、衝撃そのものがなかったのだ。何かの乗っていると、衝撃を感じないし、罪悪感もない。


 ハンナ・アレントがいう「組織化された犯罪」というのはまさにこれである。ホロコーストの責任者アイヒマンは、悪魔的人物ではなく小市民的人物だとわかったときアレンとは、なぜこのような人物がユダヤ人大量虐殺のような大それた罪をおかすことができたのかと考えた。彼女が出した答えが、「組織化される」ことによって罪悪感が消えるというものだった。


 つまりユダヤ人殺害が役所仕事となり、日常的なルーティーン化し、そして最終的には書類上の操作で数字など簡単に変えられてしまう――こういう組織化によって、残虐行為に人は麻痺してしまう。罪悪感がなくなってしまう(もっともこうしたアレントの説に、ジジェクは反論してはいたが)。


 私は人を殺したことなどないが、私の乗った列車は、人を殺した(たとえ自殺であったとしても、人を殺す道具に使われてしまった)。そして私はそれについて、なんら痛痒を感じない。私が冷血であるからではなく、列車が頑丈で、衝撃を伝えないからである。


 あるいは逆のことを考えることもできる。知らないうち人を殺していたのなら、知らないうちに、まったく身に覚えのない恨みをかうかもしれない。……


 だが、帰宅した私は、深夜、そういまこれを書いている頃、もっと衝撃的な事実に驚くことにある。私の知らないうちに、乗った列車が死をもたらしたのだが、私の知らないうちに、若い友人(たとえ最近は会うこともなくなったのだが、友人であることにかわりはなかった)といってよい男性が死んでいた。