村山 敏勝 氏 追悼


村山敏勝氏が急逝された。思いがけない死に誰もが驚いている。


原因、その他は、情報が錯綜している。私は真相を知らない。


私のところには間接的にしか情報が伝わってこなかった。つまり私に対して直接伝えてくれる人はいなかったが、私の含まれるメーリングリストで死の報に接することになった。


村山氏とは一時期、一ヶ月に何度も会ったりしたこともある。同じ研究会でいっしょになったこともあるし、合宿をしたこともある。最近は村山氏と会うこともなくなったが、それは私のほうが引きこもりになったからである。村山氏の活躍は引きこもりの私でも知ることになった。


最後に会ったのは、数年前のことである。神田神保町の北沢でばったり会った私は、村山氏に「今度、同じ英文科のX先生が、文学部長の選出されたので、急遽、私がかわりに英文学史の授業を担当することになって大変だ」という内容の話をしたら、村山氏は、実はこちらも英文学史を担当しているといって、その内容を話してくれた。それを聞いたら、私が同情を寄せてもらうどころか、私のほうがむしろ同情することになった。逆にいうと、私のほうが、その程度のことで大騒ぎして、恥ずかしい思いをした。


このことは何人かの人に、軽い笑い話としてこれまでに話したきたが、いまにして思うと、村山市の過大な労働の一端が垣間見えて、むしろ悲しい話なってしまった。



いま『死の棘』というタイトルで公開している映画Birth(2004)の冒頭の場面を思い出す*1


オープニング。ひとりの男性が、雪の降った曇り空のもと、ニューヨークのセントラルパークめいた公園らしきところの道をランニングしている。曇天なので一日のどの時間帯なのかよくわからないが、おそらく早朝だろう。ひたすらランニングしている。家に帰る途中であることは断片的なナレーションでわかる。後姿でパーカーのフードをあげているので顔はみえない。雪のふったあとの泥で汚れた道を黙々と走っている、中年の男性。オープニングはけっこう長い。顔のアップはなく走る姿をずっと追いかけているカメラ。やがて橋の下あたりで男性は立ち止まり、息を切らして、膝をつく。だがそれだけでなく、前に倒れこむ。それで男性が死んだことが暗示される。場面が変わる。


 着実な足取りで乱れることなく元気でランニングしていたのに、むりがたったのか、そのまま倒れて死んでしまう。凍てつく冬景色のなか。


 村山敏勝氏の冥福を祈りたい。

*1:それにしても2004年の映画なのに今頃公開とは驚く。日本で公開されないものと思い、私はすでにDVDで見た。