ある編集者への手紙


Y様*1

拝復*2


丁寧なお手紙をいただき、ありがとうございました。


『***』、無事に出版ということで、お慶び申し上げます。


私の名前が訳者あとがきに載っているようですが、名前を載せないようにX*3さんに強くお願いするつもりでしたが、大学の教員の名前が載っていれば、多少、箔がつくかもしれない(私の名前の場合、逆効果かもしれないのですが)、Xさん自身の希望を無視することもできないと考え、名前の掲載に同意しました。


しかし私はあくまでも影ながら応援しただけであり、尽力の名に値しない応援ですので、Yさんご自身も、また出版社としても、当然のことながら、私に対して恩を感ずる必要などまったくなく、また私自身、恩着せがましいことを言うつもりもまったくありません。


ですから、お忙しいなか、わざわざ見本を直接届けていただかなくてけっこうです。Xさんから一冊もらうか、自分で購入するかいたします。Z社の出版物に対して貢献度の高い執筆者や翻訳者に一冊送るというのでしたら(残念ながらZ社への私の貢献度はそれほど高くないと思うのですが)、あるいは宣伝用に送るというのでしたら、それはそれでありがたくいただきますが、わざわざおこしいただく必要はまったくありません。


送られなくとも、私としては頓着しませんので、どうぞお気遣いなくとしか申し上げられません。


ただ、今回出版できたのは、もちろん業界の実情を私は何も知りませんが、私の見る限り、奇跡に近いものがあります。


500ページの本をひとりで3ヶ月で翻訳し出版するのは、無謀極まりない計画で、私は最初は冗談かと思いました。あるいは、とりあえず不可能に近い目標を掲げ、鋭意努力してもらって今年中に完成できる箇所を可能な限り大きくし、来年に設定した現実的な目標を可能な限り早めるというような、独自の深い配慮をなさっているのかと思いました。


私がほんとうに驚いたのは、そのような配慮などまったくなかったことです。「Xさんの若さに期待する」というようなことを言われていたことを記憶しておりますが、私としては、冗談の一種と思っていました。まあ、ベテランの編集者としてのなにかお考えがあるのだろうと思っていたのですが、そうではなかったとわかった今、ただ理解に苦しむばかりです。


もちろん私のあずかり知らぬ出版計画の急な変更があったとのかもしれませんが、その場合、そのような変更が可能であると考えられたこと自体も不可解でなりません。


まあ私が推察するに、どうしても出版しなければならない本だっただろうとは思います。それを出版しないと、あなたの首がとぶとか、会社が危なくなるとか、とんでもない事態に発展するということでしょう。そのいっぽう出版させすれば、すべて問題なくなるということだったのかもしれません。


でしたら、そのように計画を立てることはできたと思います。遅延を絶対にしないよう、前もって準備をし、作業の途中でも緻密な管理をすることはできたでしょう。


出版に関しての素人の私でも、500ページの本を3ヶ月で翻訳して出版することは、手分けして翻訳したり、共同作業ですすめれば不可能ではないだろうと推測します。しかし一人では無理です。またこのような仕事はどうしても遅れがちになるので、翻訳者の「蕎麦屋の出前」式の言い訳と嘘を編集者として見抜きながら、進行度を緻密かつ正確に把握しておく必要があろうかと思いますが、緻密な管理ということですが、それもなされていないようでした。早い段階で多人数の共訳に切り替える必要があったとも思いますが、それも土壇場での切り替えでした。


そのため私として遺憾なのは、翻訳者ならびに英文読解者としては高いレヴェルにあるX氏が、ただ、追いまくられているだけで、本来の能力を十分に発揮できないまま終わったことです。X氏が、研究者であり、また批評家でもあるということとは無視して、ただ翻訳者としてみた場合でも、X氏は使い捨ての翻訳者として扱われるような人材ではありません*4。たとえ共訳でも、時間さえあれば、X氏は共訳者の訳文もチェックして、正確で立派な訳文を完成したはずです。それが無理なスケジュールによってできなかったのは、残念であり、遺憾としかいいようがありません。


十分な時間的余裕をもって依頼したにもかかわらず翻訳者が怠慢で、突貫工事にならざるをえなかったというのであれば、翻訳者の責任は重く、その遅れの責めは翻訳者が負うべきものですが、今回のケースが特殊なのは、最初から守るのが無理な計画だったことです。十分な努力をする時間が奪われていたことです。そのために完成度が低いと危惧される出版物になったことです。どんなに時間をかけてつくった本でも不備はあるものですが、今回は、急ぎの仕事でしたから、たとえどんなに神経を使われても、短期間の作業では、どんな不備が見落とされているかわかったものではありません。また読者に対しては、未完成の訳文、完成度を高くできるはずの訳文を提供することになり、さらには、それは原著者への裏切りです。私はこのことを残念に思うしかありません。


X氏は困難な状況のなかで、最後までよく頑張ったのだと思います。X氏の作業量に比べたら、私が手伝った部分は微々たるもので、まさに尽力の名に値しないことことは最初に述べたとおりですが、今回の突貫工事は、X氏の遅れのせいでは断じてなく、最初から無理な計画(あるいはもしかしたら無理な計画変更)のせいであって、その点で、X氏の責任はいっさいないことを確認していただければと思います。


今年度中に出版しないと首が飛ぶというような泣き言とも脅しとも、あるいは冗談ともとれることを言ってX氏にプレッシャーをかけたことは、X氏から報告がありました。ただ頑張りに期待し精神論と脅しだけでなんとかなるというのは、あきれた編集者です。私はそのとき、X氏に、「だったら原稿を渡すな、首にでもなればいい。こんな無理で無茶な出版計画をたてるような不良編集者を業界にのさばらせておくな」と話したのですが、X氏はそれを冗談ととって、ここまできたのだから原稿は完成させると言って、苦しいなか仕事を完成させました。X氏に感謝してください。私にはどのような感謝も必要ありません。


敬具

*1:この編集者と私は仕事をしたことはないので、私の翻訳のあとがきで感謝とともに言及されている編集者の誰かではない。

*2:ここに掲載したのは、意図的に隠した固有名はべつにしても、投函した文面そのものではなく、トーンダウンしたものである。

*3:これはあくまでもX Y ZのXで、名前を匿名にするもの。英語などではXではじまる単語は/z/の音で始まるので(例えばxenophobia, Xerox)、「前財」さんとか「座間」さんの頭文字ではないかと考えた人がいたようだが、そういうことはなく、あくまでも名前を隠すためのもの。

*4:過重な翻訳作業にあえぐ多くの翻訳者たちは、どうせ三流だから、ほうっておけばいいということを暗に書いているわけではない。遅延やミスで出版社に迷惑をかける翻訳者が多いのと同じくらい、無理な、時には不可能な注文というか要求にあえぐ翻訳者も多く、そうした人たちが使い捨てられている過酷な現実に私は大いに異議を唱えたいのである。