欧米か


日曜洋画劇場で『ラストサムライ』を放送していた。


物語の違和感は、おそらく重厚な映像によって消し去れらるかもしれないが(そんなことはないか)、しかしやっぱりおかしい。


その最たるものが、勝元こと渡辺謙が最後に死ぬ場面。トム・クルーズの手を借りて自害した渡辺謙は、最後になんと言うか。


テレビの吹き替えでは「みごとだ」との一語だったが、まあ、そうとでも訳すしかないだろうということはわかる。なにがみごとかというと、その直前、満開の桜の花が風に吹かれて散ってゆく映像がでることから、死の直前においても、桜の花をめでるサムライの美的センスというか和の心が強調されているようにみえる。


しかし映画館でみたからわかるのだが、渡辺謙は最後に英語で「パーフェクト」と言っているのだ。「パーフェクト」? 死ぬ直前になぜ英語なのか。それも日本人にはなじみにくいと思われるperfectという発想。いくらその後の場面で明治天皇が社会は欧米化したが日本人の心を失ってはいけないと語っても、最後の渡辺謙の台詞は、完全に欧米化している。どこが和の心じゃ、サムライの心じゃ。