報告


年末にTVKだったか*1、スピルヴァーグのプロデュースによる連続テレビドラマ『バンド・オブ・ブラザーズ*2を毎週やっていて、ぼんやりとみていたら、やはりというようなことが起こった。


いうまでもなくこれは第二次世界大戦物でノルマンディー上陸作戦からドイツの降伏までを扱うのだが、面白いのは初期の激戦の頃よりも、勝敗が決定的になって、あとはいつドイツが正式に降伏するのかを、兵士たちが待っている、そのなんともいえない脱力感の部分と、勝つことが確定した戦争で、それでもいつくかの作戦で命を落とす兵士がでてくるという虚無感の部分とがなんともいえずよい雰囲気を出していて、ポスト冷戦後の戦争映画の特徴がよくみてとれた。『父親たちの星条旗』が、終わらない戦争を描くことで、映画は現在のイラク情勢とリンクしていた。戦争映画はつねに現在の戦争を描いている。


それはともかく、『バンド・オブ・ブラザーズ』のなかで昇進して配置換えになる将校に対して、上官が、**中佐に報告しろと語っているところがあった。**中佐は新しい上官らしい。古い上官は目の前にいて昇進の件も全て知っている。では新しい上官に何を「報告する」のか。吹き替えで見ていたのでその時、どんな英語が語られたのか確かめるすべもないのだが、おそらくreport toとかなんとか言われたのだろう。これはよくまちがえるのだが、自動詞のこの用法は、報告するのではあく、出頭すること、出向くことである。報告とは関係ない。


このことは、昔、ある高校の英語教師の失敗談から教わった。昔、進駐軍の通訳をやらされていたというその高校教師は、アメリカの将校から、明日の朝10時にオフィスへreportせよと言われたとき、いったい何の報告をもってゆくのですかと尋ねてしまい、恥をかいたという失敗談をしてくれたことがあった。まあそれにしても、進駐軍の通訳をしていた高校の英語教師。う〜ん、昭和の匂いがきつすぎる。


それはともかく、昨年度の、はたしてこの学生はreport toの意味をわかって引用しているのかどうか、わからないという卒論にぶつかったことがある。しかし、それ以上に問題なのは、卒論の内容であった。作品名がSword of Honour。ローソ・オヴ・ザ・リングみたいな剣と魔法とファンタジーものかなと思ったのだが、それはこちらの無知のなせるわざでイヴリン・ウォーの戦争三部作。まあ私はイギリス小説の専門家ではないので、知らなくてもいいか。エヴリマンズ・ライブラリ(新しいほうの――新しいといってもかれこれ20年前くらいから刊行が開始されたのだが、旧シリーズではなくてという意味)に入っている三部作は700ページくらいある大作。しかも翻訳はない。


こんな作品をよく卒論に選ぶなと唖然。しかも英語をみていると綺麗な立派な英語で書いてあって、きわめて自然であり、朱を入れるところなどない。教師の悪い癖で、下手な英語を書く学生がいると、だめだこんな英語ではという内容の非難を、アカハラ寸前の言葉でぶつけるのだが、でも、けっこう安心している。英語が適度に乱れていたりミスがあると、自分で書いたという証拠になるからだ。いっぽう英語が出来すぎていると、ふつうなら優秀な学生と喜べるのだが、こんな英語書ける日本人学生なんて、おらんやろ〜と、ついつい盗作を疑ってしまう。


ただそれにしても、翻訳もない長編作品を、これまた見事な英語で書ききるとは、無防備すぎる。翻訳すらないことをこの学生は知らないのだ。なんたるあほじゃ。とことん卒論の面接ではいびりだしてやろうと決めて、その卒論の英語を点検したところ、reportが出てきた。


たしかに翻訳もない作品について盗作で書いたなら、逆に不利になるかもしれず、そんなこともわからないアホ学生かと思っていたが、通常、翻訳のない作品について卒論を書くというのは、私は自力で書きましたという熱心さと真摯さの表れのはず。そうまさにそうだったのだ。アホは私だったのだ。


まあ天才というのはいるものなのだ。指導教官によれば、彼はすごい学生なんだとのこと。自分で大長編作品を読み、非の打ち所のない見事な英語で卒論を書いた。となると私はもうなんたるバカかということになってしまう。なってしまうどころかバカだ。また盗作を疑ったりして、その学生の天才性をみぬけなかったこともふくめ、私は詫びなければいけない。ほうんとうに。教師を長年していると、この学生もふくめ、いろいろな事情で学生に謝らなければいけないケースが出てきる。そして謝るチャンスは奇跡でも起こらない限りめぐってこない。


ただ、その卒論、決して粗筋を紹介するだけのものではないし、感想文でもなかったのだが、しかし派手な切れ味鋭い分析というものはなく、また興味深い情報とか、目を見張るようなあざやかな洞察もない。作品について、丁寧に報告しているという堅実な卒論なのだから、その点で、盗作ではないことを見ぬけたかもしれないのだが、往々にして解説書というのは凡庸さと堅実さのきわみであって、そうした解説文献、それも英語文献を、そこから丸写しで論文を書いてくると今回のような卒論になる可能性もある。しかしいくら間抜けな盗作犯でも、自分で全部読めない作品について盗作的論文を書くはずもないから、この点で、逆に、盗作ではないと私自身確信すべきでもあったのだが……。恥ずかしい限りである*3


お、報告ということばで、そこがオチかと思うかもしれないがちがう。実はイヴリン・ウォーの三部作Sword of Honourは2001年にイギリスのチャンネル4でテレビ映画化されている*4。そのDVDも発売されている(191分)。ちなみにチャンネル4のテレビ映画版Sword of Honourの主役は、ダニエル・クレイグ。007新ジェームズ・ボンドである。

*1:私は埼玉県の住民だがTVKを見ることができるのである。

*2:Band of Brothers(2001)10回連続のミニシリーズ

*3:ちなみにその学生にreport toの意味を聞いてみたら、わかっていた。

*4:Sword of Honour (2001)dir.by Bill Anderson. Evelyn Waughの原作をWilliam Boydが脚色している。