赤死病の仮面


マスク(仮面じゃなくて、ガーゼとか紙でできたもの)は、脱構築的である。外と内とが、マスクという穴だらけの境界によって連絡しているということではない。それは境界であることはまちがいないが、外と内とを反転させるからである。


マスクの用途はなにか。たとえば花粉症の人がマスクをつけるとき、それは体に異変をおこす花粉を吸い込まないためである。最近は隙間なく口と花を覆う立体マスクもできているようだが、花粉症の人にとっては、花粉を吸い込むことは重大事態になりかねないから、マスクは重要な防衛装置である。


しかし同時に花粉症のイメージは、マスクのもうひとつの用途を見えにくくした。そしてこれは花粉症の人のせいでもなんでもないのだが、花粉症の流行とともに、マスクのもうひとつの用途がどんどん失われつつある。


つまりマスクは外からの有害物質を体内に入れないようにすると同時に、当人が有害物質を外に撒き散らさないようにする働きもあるのだ。花粉症の立体マスクは、マスクをしている当人を外気の花粉から守る。と同時に、かぜをひいた人がマスクをして外出するのは、本人が咳やくしゃみや鼻水を出して、風邪の菌を外気にばら撒くの防ぐことになる。つまり有害な病人から、社会の健常者を守っているのだ。


たとえば私は老人ホームに伯母に会いにいくが、この時、受付で手を消毒させられ使い捨てのマスクを渡される。抵抗力の弱いお年寄りにこちらが病原菌を移さないためだ*1。これなどは花粉症の人とは逆で、こちらが周囲に迷惑をかけないように自分を抑えることになる。


ところがこの機能が忘れ去られつつある。言い方を変えれば、社会に風邪の菌をインフルエンザのウィルスをばらまいても平気なばか者どもが増えた(ばか者を若者とは読まないで欲しい。中高年もひどいのはいっぱいいる)。たとえば昔だが、テレビで、医者が、マスクなんていっても、ガーゼだけでは、空気中のインフルエンザのウィルスなどふせげませんよと、したり顔で言っていたが、マスクの機能は、花粉症の人が花粉から身を守るためのものではなく、本人が唾や痰や鼻水やくしゃみなどをばらまかないためのものだ。ウィルスから本人を守るためのものではない。


本人が汚れで悪で有害だから、おまえは人に迷惑かけるなという、だからマスクをつけろということになるが、さすがにこの点を強調して商品を売ることはむつかしいようだから、あなたの身を守るものという位置づけをする。だからこんなものでは身を守れませんよなんというバカ医者もでてくる。くりかえすがマスクは、自分を防衛するものと、自分が人に迷惑をかけないためのもの、この二つの機能がある。しかし後者はどんどん忘れ去られている。


そもそも花粉症以外でマスクをする人が極端に少なくなった。マスクどころか、公衆の面前で、くしゃみをしても、咳をしても、手で口を覆わずに、あたりかまわず鼻水や唾液や痰を撒き散らしている人間は、やまのようにいる。いかにも病気らしく、マスクをして外出する人も、もちろん時々見かけるが、花粉症の人なのか(この場合はやむをえない)、あるいは風邪で周囲に迷惑をかけないようにして、マスクをしているほんとにりっぱな人なのか区別がつかなくなっている。とはいえマスクをする人は、怪しい人ではなくて良い人といえるかもしれない。


空気感染するような強力な伝染病が日本を襲わないことをほんとうに祈っている。花粉症というやむをえない場合を除いて、マスクをすることが自分を病人視する自虐的行為だと本気で信じているバカは多いからである。


ここから怒りが増してきて、罵詈雑言を吐きそうになるのをやめる(実は、お前の発言こそ害毒をばら撒いているようなものだから、すこしは、自制せよ、マスクをつけろといわれそうだが)。


それよりもマスクに立ち返って、外からの侵入者を防ぐと同時に、中のものが外に出ないように抑える働き。この二様の働き、内を守っているのか、外を守っているのか、わからない、あるいは機能の二重性については、まだまだじっくり考える余地があるように思われる。

*1:ふだんは風邪などの病気にかかっている人だけが、マスクをするように要請されるのだが、インフルエンザの季節には来訪者全員マスクを着用させられるし、職員、介護人すべてマスクを着用している。私はもちろんそれには協力しているのだが、それでも、どうみても風邪をひいていると思われる中年の主婦がマスクもせずにエレベーターに乗り込んで面会に行ったことを目撃したこともある。一瞬のことで職員も言い忘れたか、あるいは自分から協力してくれない人には、なかなかマスク着用を要求できないのか。しかし昨年、ホームでインフルエンザが蔓延してからは(私の伯母もインフルエンザにかかった――私のせいではない)、マスクの要求は強くなったのだが。