よろしかったでしょうか 2


本日24日、NHK教育テレビの「ことばおじさんのなっとく日本語塾」(午後8時直前の短時間番組)で「よろしかったでしょうか」をめぐる話をしていた。残念ながら番組の終わりをたまたま目にしただけ、全体をみているわけではない。とはいえ短い番組なので見逃したのは2,3分ということになるが。


「よろしかったでしょうか」については、間違った使い方で否定的に扱っているようだったが、結論は「「よろしかったでしょうか」と言われ、丁寧だと感ずる一方で、違和感を持つ人もいます。また方言の影響を受けているのかもしれません」ということだった。


方言というのは北海道をはじめとして、いくつかの地域で「だった」という言い方をすることをさす。たとえば「わたしは〜です」というかわりに、「わたしは〜でした」といったりするとのこと。こうした方言の影響で、「よろしかったでしょうか」という言い方が広まったのではないか。という、これが結論だった。


う〜ん、これで「なっとく日本語塾」。なにも説明していないじゃないか。こんなことなら、受信料不払い運動をはじめるぞ、ばかやろ〜。


番組では(すべてを見ていないので違っているかもしれないが)、なんとく「よろしかったでしょうか」という言い方に警鐘を鳴らしているようにもとれた。しかし1)方言だったら、それはそれでいいわけだから、よけいなお世話である。2)「よろしかったでしょうか」という言葉を使う人間が何人いるのか、誰に向けてメッセージというか警鐘を鳴らしているのか、それがわからない。私は自分の記憶を辿ってみても、自分の人生において、「よろしかったでしょうか」という言葉を使った覚えはない。正しいとか間違っている、古いとか新しいという問題ではなく、「よろしかったでしょうか」と相手に言うような立場の職業に就いたことがないというそれだけのことである。「よろしかったでしょうか」というフレーズを日常的に発する人間は限られている。そうした職種の人たちの調査をはじめるべきである。


このフレーズは、若者たちの間の流行語とか言葉の誤用ではない。若い店員のフレーズとして最初気づかれた。彼らが好き勝手にこのフレーズを発するわけはない。そうするように指導されたか、そうするのが自然な環境ができあがっていたからだ。そうでなかったら、この違和感のあるフレーズを使ったら店長から叱られてはずだ。したがって、いつ、どこで、なぜ、この言葉が流行ったのか、地道な調査をするか、もしくは隠れたアジェンダをみつけるべきであろう。


NHKの番組の「ことば【くそオヤジ】おじさん」は、「よろしかったですか」というのは、押し付けがましいとまで言っていた。ではなぜその押し付けがましい言葉を「丁寧に感ずる」人がいるのか。方言の場合も、「だった」というのは、ぞんざいな言い方ではなく丁寧な言い方なわけでしょう。あんたわかっているんか。本来なら、企画段階で没になってあったりめ〜の、いい加減な、なんにも解明していない説明を、押し付けがましいわりには、の事なかれ主義のNHKの言説にくるんで語っても、中身のなさ、いい加減さは、すけてみえるんじゃい。どあお。よろしかったでしょうか。