欲望という名の電車 3


電車のなかで痴漢行為の被害者になるのは女性だけではない、男性も痴漢行為の被害者になる。かくいう私がそうである。


大学から帰る夕方の私鉄電車の車内。そんなに混みあってはいないが、立っているひとも多かった。そのときは雨上がりで、傘をもっている乗客もかなりいた。つり革につかまっていた私は、隣の男性がもっていた傘の先端が、私の股間にあたるので、体をひねって股間にあたらないのようにした。身動きできないくらい混んでいたら、傘が体に触れることはあるだろう。しかしそんなに混んでいないとき、傘が、隣の人の体に触れるということは傘の持ち主の不注意であり、周囲に失礼な行為である。しかしそれに気付いていないようだから、とにかく私自身でその傘に触れないように身をよじった。


するとまたその傘の先端が私の股間に触れてくる。そこで私は困ったものだと思いつつ、その傘の持ち主から離れて、べつのつり革につかまるべく場所を移動した。すると気付くと、また傘の先端が私の故幹部に触れている。触れているどころか、股間をつっついているではないか。


私はこれはおかしい。痴漢行為だと認識した。その時私が感じたのは怒りだった。私の体を勝手にいじるなという怒り。なぜ私が狙われたのか。最近はただのでぶおやじになったので、私の魅力も失われたのだが、学生の頃は、これでも美少年だか美青年であった。という冗談ややめておこう。一番ありそうなことは、私のことをゲイの人間もしくはゲイの人間である可能性が高いと認識し、電車のなかでちょっかいをだしても怒ったりしない、気弱な人間とみなし、あわよくばこれで金でも払えば適当に相手をさせられる人間とみなしたことだろう。これはいわゆる男性による女性のセクハラとまったく同じことである。私は股間をつつかれて気持ちよくもなんともなく、怒りがわいてきた。セクハラあるいは痴漢をされる女性の気持ちがよくわかる。それは怒りである。もちろん相手は自分よりも屈強な人間なら恐怖も覚えるだろうが、第一には怒りであり、それは最終的に相手を告発でもしないかぎり、おさまらない怒りである。


私の股間を傘で触れてきて合図を送ってきたのは中年のオヤジだった。私がその男のほうをふり返ると、中年オヤジは、そそくさと私から離れて背を向けた。私の降りる駅だったので、そのオヤジのはげ頭の後頭部をしっかり目に叩きつけて、電車を降りたのだが、このとき私が女性とまちがわれていても、あるいは私が女性であたっとしても、抱いた感情は怒りであった。


痴漢行為をする卑劣漢は、こう考えているにちがいない。痴漢行為の被害者は、恐怖のため声も出せずおびえているか、なかにはM的な喜びすら感じているだろう、と。しかしこのとき想像だにされていないのは、被害者が第一義的に怒りを感ずることである。この怒りはたとえ恐怖心によって一時的に収まっても決して消えることはない。痴漢行為の被害者は相手を切り刻んでやりたいS的攻撃的感情を抱くことを痴漢は知らないのである。