欲望という名の電車 4

あれは小津次郎先生の引越しを手伝いに行ったのか、あるいは引越しの下見に、御宅へ伺ったあとなのか?――正直なところ忘れたのだけれど……。その翌日、英文の研究室で先生にお会いしたとき(その頃、私は助手をしていた)、小津先生はおもむろに、私に対してこう語られたのだ――「娘が、君のことを地下鉄の痴漢に似ていると言っていたよ」と。


おい、こら待たんかい。口の悪い先生と、その娘が、私のことを地下鉄の痴漢といって盛り上がるのは勝手ですよ。そもそも地下鉄の痴漢というのがどういうタイプの人間なのか、私は知らないが、――君のようなタイプの人間だよという、トートロジカルな答が返ってくるのは想定内ですよ――、そんないい加減なひどいことを言って、自分のかつての指導学生である私を、またそのとき引越しの手伝いをしている研究室の助手であった私を、傷つけるようなことをよく言うもんだ。


たしかに、私も自分の指導学生のことを、子役(メトニミー)とか詐欺紳士(メタファー)とか最終兵器R15(メトニミー+メタファー)なんて悪口を言っていますよ。でも面と向かっては言っていない。面と向かっていったら相手が傷つくじゃないですか。いや、裏でこそこそ言っているほうが、よほど陰湿で、相手がそれを知ったらもっと傷つくですって。そういうことを言っているのではないです。私は、自分の指導学生にひどいあだ名をつけていることを反省しています。ですからもしそれが指導学生にわかったら心から謝るつもりで、自分のやっていることがよくないことと思っています。先生は平気じゃないですか。


先生の口の悪さは、弟子たちが折に触れてバラしているので、よく知られています。たとえば小田島雄志(偉い人だから呼び捨て)が津田塾に就職が決まったとき、「掃き溜めの鶴とはよく言うが、君の場合は、鶴のなかに掃き溜めが降りてゆくようなものだ」と語って、ひどく小田島雄志を傷つけたそうじゃないですか。それは小田島雄志の本に書いてある。


あるいは村上淑郎さん(偉い人だからさんづけ)は、文章で書いているのかもしれませんが、あるスピーチで大学院時代、小津先生が、「大学院生といっても学部学生に毛のはえたようなものだが、最近は、毛のぬけた大学院生もいる」と村上さんのことを暗に示したことで、ひどく傷ついたと話していました。「掃き溜め」も「毛の抜けた院生」もどちらも面白いじゃないですか。歴史に残る口の悪さですよね。歴史に残すべきです。


しかし、それに比べたら「地下鉄の痴漢」はないですよ。なんにも面白くない。ただ侮辱しているようなものじゃないですか。歴史に残そうにも、残せない。どうしてもっとひどい悪口、歴史に残る悪口をぶつけてから、天国へ、いえ地獄へ行かなかったのか、わたしも地獄へ行くことはわかっていますから、そこで言って問いただしたいと思っています。