華麗なる一族 ハムレット2


たとえばコンパが遅くなって、彼が最終電車に間に合わなかったから、君にのところに泊まりにいくとして、なぜ、あなたの父親や母親の許可が必要なのか。君は30歳にもなった男性だというのに。つれてくるのは同じ大学の男性の院生だというのに。


つまり彼は遠いところに住んでいる。彼は、あなたの、まあ後輩にあたる。大学院生ですよね。で、これは思考実験と考えもらえばいいのだけれど、その彼が、青山に住んでいるというあなたのところへ一晩だけ泊めてもらえないかと頼むとしよう。


泊めるか泊めないかは、あなたの自由だ。仮に、あなたが彼のことを泊めたくはないとしよう。そのときどういういいわけをするかだ。君をぼくの家に泊めたくはないと、面と向かっていうのは、いくら後輩に対してでも(実際、彼は、あなたよりも年齢は上なんだけれども)ちょっといいにくい。そこで、まあ本心を絶対に言わないことにいて、適当な言い訳を考え付かなければいけない。あなたの好きなラカン風にいえば、真実だけには触れないような空虚な言説をトーラスのように展開しなければいけないわけだ。


たとえば、家が狭くて、家族が雑魚寝状態で、とてもお客さんを泊まらせることはできないとうそをつくこともできる。謙遜でも、そういう理由を出さないのは、たぶん、家が狭いとは思われたくないわけでしょう。あるいは家に病人がいて、夜遅く帰ってきてごそごそすると、目を覚ましてしまうかもしれないとかなんとか、病人のせいで泊められないという言い訳をすることもできる。でもこれも同じで病人がいると思われたくないから、そいういういいわけをしない。まあ、いいわけはいくらでもある。家の中が片付いていない、まるで物置だ、いやゴミ屋敷だ、だから残念ながら泊められないという理由も提示できる。あるいは用件をもちだして、たとえば明日ヨーロッパに出発するから朝早く家をでなければいけないとか、理由をいくらでも、でっちあげることができる。実は、この彼は、前にもコンパで終電に間に合わなくなって、友人の中国人の留学生宅に泊めてもらうことになった。最初は、留学生も問題ないと言ってくれたのだが、その留学生が自宅に電話して奥さんと話した結果、泊まるのは困ると言い出した。実は明日、中国に帰国する予定になっているからだと。でも、まあ、そんなのは嘘でしょう。その中国の留学生は、奥さんだけが、あるいは夫婦そろってか、翌日、中国に向けて出発することを知っているはずだから、そんなときに泊められないことは承知しているはず。むしろ、奥さんから入れ知恵されて、明日中国にむけ出発するから泊められないとかなんといって断れといわれたのでしょう。まあそう思うけれどね。


で、要するに、どんないいわけでもできるのだが、君は、よりにもよって、父や母が許してくらたらOKだと語ったのだよね。その含意とは、父や母が、たぶん父が許さないということだ。もし君の父上が許す人なら、わざわざ「許してくれたら」という条件など出ないはずだ。ということで、君が提出したのは、親が許してくれないからという理由。これが問題なんだな。


つまり、彼のことが好きではないからというのがほんとうの理由だとしても、それを隠すための理由として、たとえば病人がいるとか、家があまりに片付いていないとか、そういう理由は出したくなかったので、父親が許さない/父親が厳しいという理由を出したんだよね。問題は、それが一般的事情(個別的な特殊事情を隠すための一般的事情)どころか、ゆくりなくも、君の個人的事情を明らかにしているということだ。


私は30歳の頃、もう父親は死んでいたから、なんともいえないところもある。しかし家に病人がいるとか、家が片付いていないとか、翌日、中国に向けて出発するという事情がなければ、私が、30歳をすぎた私が、大学院生の友人――終電がなくて困っている院生――を泊まらせるために連れてきても、父親も母親もなんともいわないと思う。父や母が、人をもてなすのが好きで、彼を客として手厚くもてなすかもしれないし、逆に、人付き合いの悪い父や母は、彼のことを無視するかもしれないが、いずれの場合も、私の好きにさせてくれるだろうし、私は父や母に報告はするけれども、同意は求めない。私のすることだから。またそれは違法なり常識はずれなことでもなく、家族に迷惑をかけることでもないと分かっているから。


ところが君は、30歳すぎている男が、親の同意を得なければ、友人すら家に泊められないとは。なにかあったのか。なにがあったのかしらないが、君は、そんなに問題を起こすような人にはみえない。あるいは30過ぎてもまだ学生であることで親に頭が上がらないからか。しかし、それはそうでも、同時に、親のほうでは、君に好きなようにやらせるでしょう。ふつうの親なら。君は、なにもしないで30過ぎてまだ学生というのではなく、就職もしたし、自分の希望で大学院で勉強しようとしたわけだから、学生であることに、そんなに罪悪感を感ずる必要もないし、親に申し訳ないと思う必要もないわけでしょう。


でも、親に頭が上がらない。30歳すぎても親の許可が必要なんだ。まるで6歳の小学生みたいじゃないか。抑圧されているということでしょう。そんなんじゃ、面白くないよね。しかし君は、自分の父親との関係を正常化しないかぎり、君が父親から抑圧されない関係を確立しないかぎり、結局、いまのまま鬱々としてすごすしかないぞ。そうしてふだんは虫も殺さぬ顔をして、スーツしか着なくて、小声でぼそぼそしゃべって、それが宴会の席になると、酒の勢いを借りて、大声で怒鳴りはじめて、君が大きな声を出せることを知ってみんな驚くなんて、これは限りなく愚劣なことだ。


自分の父親との関係すら解決できない人間が、なにがラカンだ、バカ野郎。まあ頭が狂っている人間だから精神異常に関心を寄せる。抑圧をかかえこんでいるから精神分析に関心を寄せるというのは、いかにもありそうで、現実には起こらないし、起こってはいけないことだよ。


君はラカンについて、精神分析一般について研究して、結局、自分の抑圧問題、父親との関係を改善あるいは解決することを拒んでいるんじゃないか。ラカン精神分析の言説が君にとっては、真実に直面することを妨げてくれる空虚な言説になっている。ラカンもいい迷惑だろうよ。精神分析の言説が、精神分析でなければ解けないような関係を、隠蔽したり無視するための道具といて使われてしまう。なんたる皮肉。なんたるパラドックス。みずからに差し向けられないように、みずからが言説の支配者になってしまうこと。それが君のラカン精神分析だろう。精神分析を掌中におさめている限り、精神分析にさらされることはない。ほんとうは弱く、抑圧された人間だけれども、その弱さを精神分析によって露呈されたくないから精神分析をコントロールしている。これは君が酒乱であるのと軌を一にしているよ。精神分析は、君を大きな気持ちにしてくれるアルコール飲料みたいなものだ。ドラッグかもしれない。だがそんなとき、君の肉体はかぎりなく無防備だ。アルコールの勢いで誰にも勝てると思うかもしれないが、そんなときの君は、誰でも倒せるあわれな酔っ払いにすぎないのだから。


ラカン派的精神分析の言説は、君を超越的な立場に押し上げる(ラカンが聞いたらびっくりするような誤解だ)。だがそれによって自らが抑圧関係の網の目のなかにいること、30歳を過ぎても一人前扱いしてもらえない父親に君が抑圧されていること、その問題を放置するかぎり、君の精神は蝕まれ弱体化している。


一ついえること。そんな奴に、私はいてもらいたくない。もちろん、君から私は直接なんらかの害を受けているわけではないから、また君よりももっとひどい奴はいっぱいいるから、憎んではない。しかし自分の問題を解決できない、いや自分の問題に直面できない人間にここにいてもらいたくはない。直面するようになったらまた戻って来い。