墨守

土曜日の午後、大河ドラマ風林火山』の再放送をぼんやりみながら、やはりこれはパクリだよなという思いを強くした。


井上靖風林火山』を、私は中学生か高校生の頃に読んだ。なぜそんなに早く(早くもないか)読んだのかというと、当時は文学全集ブームの末期にあたったのだが、河出書房から時代小説の全集が出たのである(その後、河出書房は何度目かの倒産をする)。柴錬太郎とか司馬遼太郎など、名だたる作家の時代小説を一作家一巻に収録するその全集の第一回配本は、井上靖集(まあ無難なところだ)。ディアゴスティーニの分冊シリーズと同じく、第一回配本は価格が記念特価だったので、私は購入した。全巻購入するつもりはなかった。収録作品は確か『風林火山』と『戦国無頼』の2長編であったかと思う。


始めて読む時代小説なので、おそるおそる読み始めたが、中学生だったか高校生の私には難なく読めて安心した。『風林火山』のほうは、まったく未知の世界だったが、武田信玄のその旗印の文字を全部暗記して書けるようにした。もうひとつの作品『戦国無頼』というのは聞いたことがない作品かもしれないが、また私自身、内容をすっかり忘れてしまったが、実は、当時、すでに映画化されていた(私は映画そのものはいまも見たことがないが*1)。『風林火山』のほうはまだ映画化されていなかった(三船敏郎が演ずる山本勘助が、川中島の合戦で目に矢が刺さり死んでゆく映画『風林火山』のほうは衛星放送でみることになった*2)。


だから今回のNHK大河ドラマ風林火山』は井上靖の小説に基づいているものの、勘助と信玄が出会うまでの物語は、原作にはなく新たに書き下ろされたものである。それはそれでいいのだが、今回、勘助が、城を守る軍師として活躍するエピソードには、パクリがある。『墨攻』の。実は『墨攻』は酒見賢一の原作(新潮文庫)しか読んだことがなく、それを原作とした漫画も、またいま上演している映画もまだ見ていない。だから原作の小説での話しだが、1)城を守るとき、木造の建物に泥を塗って、火矢を放たれても、燃えにくくするという知恵は、NHK大河ドラマでもそのまま使われていた。これはごくありきたりの知恵で、パクリともいえないとすれば、もうひとつ2)地下道を掘って、地下から攻撃する方式を未然に防ぐ方法も大河ドラマと原作の酒見作品と同じだった。NHK酒見賢一も同じ典拠に基づいているからという説明もできそうだが、NHKが酒見作品をパクっているように思われる。なぜなら酒見作品では説明がそれなりに理に通っているのだが、NHKのほうは、きわめていい加減だからである。パクル側は、典拠への敬意がないから、きわめていい加減な設定になるという理屈なのだが。


小説『墨攻』では、地下動を掘っている敵を発見するために、大きな甕を地中に埋め甕に水を張り、水面の振動によって地下道の存在を感知する。これだけでは地下道の方向まではわからない。そのため敵が掘っている地下道らしきところにむけて三本地下道をこちらからも掘ってゆく。そのうちどれかひとつは敵の地下道と遭遇するだろう。遭遇を確認したら、残り二本の地下道は90度向きを変え、敵と遭遇した地下道の応援に向かうというものだった。なるほど。


いっぽうNHK大河ドラマでは、勘助が甕を地中に埋め水を張るところまでは同じ。勘助は甕の水面が揺れているのを発見、剣を抜いて、方向を確かめ、地下道の存在をどんぴしゃりと当てる。籠城軍は、武田軍の地下道(城の水源を破壊するという目的らしいが)を真正面で待ち構え、火を放つ。しかし勘助がどうして方向まで当てることができたのか、なんの説明もない。なにやらもっともらしく剣を動かしているだけである。


両者を比べるとNHKのほうが無理な設定になっている。城の水源を絶つために、隠密裏に地下道を掘るというのなら、むしろ地下道を掘って城のなかに攻め入るほうがはるかに効果的である。井戸水を使えなくするために地下道工事をするというのはまどろっこしすぎるし、ピンポイントの目標に向けて掘り進むのは至難の業である。NHKのほうが説明不足である。おそらく『墨攻』のなかのエピソードを、パクったのだろう。ただそれにしても漫画版も映画版にもこのエピソードがあるのかどうか知らないが、小説にあるものを、また映画化されたがゆえに原作を読む読者がいることがわかりそうなのに、堂々とパクる精神には唖然とするしかない。

*1:『戦国無頼』稲垣浩監督、三船敏郎三國連太郎山口淑子ほか、1952年。

*2:風林火山稲垣浩監督、三船敏郎中村錦之助(当時)、石原裕次郎ほか、1979年。