メッカ巡礼


本日は、久しぶりに大学へ顔を出したのだが、その帰りに映画館に行った。というか正確には映画館に行く途中に大学に立ち寄ったというべきか。長らく研究室にも寄り付いていたなかったので、メールは300件を超えていたが、その9割以上が迷惑メール。返事をしなければいけないメールは、2通のみ。クリストファー・マーロー関連の本を鞄に詰め込んだので(最近、マーローを研究している)、荷物が重くなったが、その足で銀座のシネスイッチへ。コリーヌ・セロー監督の『サンジャックへの道』Saint Jacques…La Mecque(2005)。


予想通りの映画で十分に満足できた。シュールな夢の映像は、予想していなかったことだが、事実、これをどうとらえるかで評価が分かれるところだろう(なお映画館には中高年のおじさん、おばさんがけっこうたくさんいて、若い人たちがあまりいなかった。すこし寂しいと思った私は、自分がっ中高年ではないと思っているところが、馬鹿だ)。


映画のなかでは、たとえば登場人物のひとりの女性の学校教師は、きわめて左翼的攻撃的意見を言うのだが、日本やハリウッド映画なら、揶揄される人物像となるところが、すこしも戯画化されていなかったり、巡礼のガイドがスーパーで買い物をするとき、ポテトチップスを買ってはどうかと若者が提案すると、その成分表をみて、添加物を読み上げ、これを食べたら死ぬぞというのも、これも日本の映画やハリウッド映画だったら、健康オタクとして戯画化されるところ、すこしもそんなことがないのは、拍手喝采。巡礼の旅といっても、宗教臭いところはなく、長い登山ハイキングという捉え方をしているところは興味深い。とはいえ途上の光景は、人が住んでいないところを踏破するわけで、ある種のシュール感をただよわせている(そこに宗教的崇高感を受け取る人もいるだろう)。現実の光景のほうが、夢の場面以上にシュールなところがある。


ちなみに私は、チャンスがあればサンティアゴ・デ・コンポステーラに巡礼に行ってみたいというささやかな夢をもっていたが(またそれゆえに大聖堂を動く映像として見ることができてかなり感動したが)、体が弱っているときに、この映画をみたので、自分には、巡礼の長旅は絶対に無理だと悟った。


ところで原題には「メッカ」が付いている。メッカとはムスリムの巡礼の地であって、キリスト教徒の巡礼地サンティアゴ・デ・コンポステーラとはなじまない(フランス語ではサン・ジャックSaint Jacquesというのかと発見。ならば英語ではセイント・ジョイムズなのだが、さすがに英語ではサンティアゴなので、そこのところが興味深い。もともとはキリストの弟子ヤコブのこと。なぜヤコブの墓がスペインにあるのかについては、日本版Wikipediaには書かれていないが、私は知っている)。しかし同時に、「メッカ」はムスリムの聖地のみならず、場所や宗教などにかかわらず、巡礼の聖地である。シェイクスピアの生地ストラット・フォード・アポン・エイヴォンはシェイクスピア愛好者のメッカであるという表現は可能だ(ちょっと例としては変かもしれないが)。あるいはサンティアゴ・デ・コンポステーラ/サンジャックはキリスト教徒のメッカであるということはできる。となるとメッカはムスリム固有の巡礼地であると同時に、巡礼地一般を指し、それがキリスト教に適用されると、キリスト教徒たちとムスリムが合いまみえることになる。「メッカ」というのは特殊性と普遍性とを融合させているがゆえに、そこに共存を可能にする。おそらくそれがこの映画の最大の賭けであろう。ここにはアラブ人問題で揺れるフランスの現実がある。


何を言っているのかと思われるかもしれないが、この巡礼の旅には、サイードとラムジという二人のフランスのアラブ人の若者が加わるからである。彼らはサンジャックを「メッカ」と勘違いしている。こんなお馬鹿なアラブ人の若者が加わると、物語が拡散するし、最初のうちは実にうっとうしいのだが、彼らが一行になじんでくると、逆に、気にならなくなるし、目的地に着いたとき、ラムジが、アラーの神に感謝するにおよんでは、拍手したくなるから不思議だ。結局、彼らの視点によって巡礼を描いている。途中で会う牛や羊についても、彼らのほうが詳しいのだ。そしてガイドとアラブ人二人を僧坊に泊めないというスペイン人聖職者に、メンバーのひとりのフランス人は、スペインではまだファシズムが続いているのかとくってかかる。この映画はキリスト教徒とムスリムの「メッカ」への巡礼を描いているのである。


気になったこと。字が読めないというアラブ人の若者のひとりに、フランス人の女性の教師が文字を読めるように巡礼の途中でレッスンすることになる。その時、女性の教師は、フランス語には第一フランス語と第二フランス語があるという。第一フランス語は、日常生活の会話で使っているフランス語。第二フランス語というのは文章語で、これは「金持ちが貧乏人を馬鹿にするために使うフランス語」だという。そしてその少年は、この第二フランス語を学ばなければいけないという。フランスの体制に組み入れられるために? いやちがう。貧乏人を馬鹿にする金持ちと闘うために、と。


第一、第二という表現が、その女性に特有なものなのか、一般に言われているものなのか、私は知らないが、支配階級の言葉を学ぶことによって、支配階級に同化する(明治以後の脱亜入欧主義者、あるいは今なお蔓延っているアメリカ追随主義者のように)のではなく、支配階級に抵抗するために、言葉を学ぶ。この知、シェイクスピア関連でいえば、キャリバンの知こそ、知のありかたの精髄ではないだろうか。知とは、貧乏人を馬鹿にする金持ちと闘うためのものである。このいま忘れられている古典的なテーゼについて、今度、書いちゃおうっと。


レッスンのかいあって、文字が読めなかったアラブ人の少年が、最後に、かなり文字が読めるようになる(ただしいくら長い巡礼とはいえ、習得が早すぎ、これはフランス人の幻想にすぎないのかもしれないが)。そしてそれはヨーロッパの体制に組み入れられることかもしれないが、同時に、そこで右も左も分からず振り回されるのではなく、自分で判断できる能力を手に入れたことである。それは敵をつくると同時に味方もつくる。なににせよ、知を獲得することは、純粋な喜びでもあり、また連帯と闘争のための武器をひとつふやしたことになる。


ちなみに退院後、静養中にハングルを勉強し始めた。まだほんの初歩段階で、頭が固いオジサンにとっては学習もすすまないが、地下鉄の銀座駅では、駅名とか方向表示にローマ字とハングルが併記してある。ためしにハングルを読んでみた。「すきやばし」と読めた。ちょっと嬉しかった。