卒業式の夜

早く異変に気付くべきだった。


卒業式の夜、謝恩会も終わり、もらった花束をもって、夜のホームに並んだ。体調不良なので、今夜は、早めに引き上げさせてもらったが、それでも11時50分始発の電車はもう満員で、とても乗り込めそうになかったから、次の列車を待つ列の最後尾に並んだ。


次の列車はすぐにホームに入ってきた。最後尾だったので、座れそうもなかったので、私は車内に入ってから、まっすぐに反対側の入り口へと進み、その脇に立って、閉まっているドアに軽く上体をもたせかけた。ドアの窓から、隣のホームの時計がみえた。出発まで、あと10分。一つ前の列車は、満員だった。この列車も、これからどんどん乗客が増えて、満員になるのだろう。まあ、すこしの辛抱だと、立ったまま、目をつぶった。


ふたたび目を開けたら、すでに5分くらい経過していた。出発まであと5分。夜の私鉄のホームは、12時に近くになっても、人の混雑は耐えない。耐えないどころか、混雑は増すばかりだ。終電までは30分以上もある。ふと気がついた。この電車は、あまり人が増えていない。5分後に出発となると、どんどん乗客が入ってきて、ドアの脇に立っていても、ドア側に押されそうになる。人いきれでむせ返る……。だが私の周囲に人は立っていない。隣のホームの時計をみた。出発まであと4分。いまちょうど人の流れが途絶えたのか、この列車の終点が遠くないので、途中での乗換えを避けて、もう一本あとに乗ろうとしてる客が多いのか。


一本前の電車の満員ぶりが、嘘のようだ。あと3分。このまま乗客が増えないことを祈る。でもダメだろう。発車間際になってどっと人が乗り込んできて、満員となるだろう。ああ、このまま出発してくれれば、いいのに。心のなかで祈った。


ところで最初、私のすぐ後に乗り込んだ男性は、車内を横切って、反対側のドアから出ようとしたが、あいにくドアがしまったのであきらめ、入ってきたドアから降りて、階段を下りて、反対側のホームへ行ったようだ。どうしてそんなことをしたのか。乗り込むホームを間違えて、入ってきた電車の両側のドアがあいているうちに、反対側のホームに行こうとしたのか。それがふと気になったのは、いま入ってきたカップルが、降りようかといって、この電車から降りたのだ。


私は前方の車内を見た。そこには乗客が身を寄せ合っている。しかし次の瞬間、私は愕然とした、隣の車両は満員なのだ。ぎゅうぎゅうづめになっている。どうして私のいる車両はがらすきなのだ。入ってくるなり、いきなり出ようとした先ほどの男性、いまのカップル。いやほかにも出ていく客がいた。なにかがおかしい。なにか異変が起こっている。


私はおそるおそるふり返った。私の後ろを見た。私の腰の辺り、シートの端に座った一人の乗客が、身を丸めて寝ている。酔っ払いだろう。そして窓に沿ってもうけてある、コミュータートレインの座席には、向こうの端で座って眠っている客以外、誰も座っていない。反対側のシートにも誰も座っていない。振り向いた私は、そこに誰も座っていない、向き合ったシートをみていた。そして発見した。通路に、大きく展開している反吐を。


だめだ、いけない。こんな車両に乗っていられない。別の車両に乗り移ろうとしたときドアが閉まった。電車が発車した。


コーダ
連結部分から隣の車両には移れなかった。隣の車両は満員だから。幸い、この車両、匂いはなかった。しかし気持ち悪さは、匂いのあるなしに関係ない。私は背中を反吐にむけて立ち、この急行が次の停車駅に到着するのを祈るようにして待った。ようやく到着したとき、私はホームにおりて、いそいで隣の車両に乗り移った。それまで満員だった隣の車両は、空気がものすごくよどんでいた。ハンカチで汗をかいている乗客もいた。私がいた反吐車両は、反吐さえなければ快適な車両だったのかもしれない。いやそれにしても、年に一回の卒業式の夜のブログに書くことが、反吐の話とは。ああ。