死相

久しぶりに柴田栄光君をテレビでみた。関東圏では8チャンネル、フジテレビの細木数子の番組にゲスト出演していた。


もう彼も41歳かと、感慨のため息がでた(ほとんど知られていないが、彼の学部と大学院時代、私は彼の指導教員だった)。長らく見ていなかった彼は、めがねをかけ、すこし老けたようにみえた。元気がないというわけではないが、生気が強く感じられなかった。「あんた死相が出ているわよ」と細木数子にひどいことをいわれていた。「死相」とはどんなものか知らないが、今の彼の表情がそうだといわれれば、私は納得してしまうかもしれない。


話題は、彼が田宮二郎の長男ということもあり(次男も最近はテレビに出演している)、父親との関係が中心となった。とりわけ躁鬱病をわずらっていた父親と、その父親を支える家族の苦悩を、彼は涙目交じりに語り続ける。実際、自殺直前の田宮二郎の壮絶な奇行については、昔、彼自身の口から聞いたとき、私は言葉を失ったことがある。たしかにそれは思い出すたびに、苦しみをもたらすにちがいない。


だが、語り続ける彼に対して、細木数子が、「もう、そんな暗い話はやめよう」と止めに入り、「はっきり言うわよ、あんた死相が出ているわよ」ということになった。父親の死をいつまでも背負っていてはいけないということで、細木数子は、彼の頭部をマッサージした。それで取り付いた死相を祓ったということかもしれないが、その後、彼の顔が若さと明るさを取り戻した。たしかにそれは41歳の男性の顔だが、同時に、彼が学生時代の生気に溢れた顔がそこにありありと見て取れた。スタジオでも周囲から感嘆の声があがる。


しかし、待った。死相を祓ってもらった彼は、明るく若々しくなったのはよかったが、なんだか軽くなりすぎた。薄っぺらな十代の若者の表情と言動になっているではないか。


こんなことなら、父親の死の思い出を、苦悩をありありと見せながら、語り続けた彼のほうが、ずっとかっこよかった。これは、あまりに軽々しいぞ。軽薄のきわみだ。細木数子、いったい彼に何をしたのだ。