学力低下


最近、大学生の学力低下が言われているのだが、しかし、最近はよくなってきて、昔はもっとひどかったともいえる(ちなみに私の知っている小学生は、私が小学生の時には考えられなかった高度な内容の勉強を学校(私立の小学校、ただし一貫校ではない)でしているのだが、それでなぜ学力低下なのだろうか。この問題は考えてみるべきだが、いまはしない)。


たとえば20世紀のことだが、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』で卒論を書いてきた学生がいて(とはいえ、その学生は大学にほとんど来ていなくて、指導は一度もしていない)、卒論のなかで「『ロミオとジュリエット』は作品としてみれば『アントニークレオパトラ』に劣るが」と書いてある(英語で)。そこで卒論の口頭試問のときに、「どうして『ロミオとジュリエット』は『アントニークレオパトラ』より劣っているのか、逆にいうと『アントニークレオパトラ』はどういう点ですぐれているのか」と質問してみた。当然の質問である。まあ『アントニー……』のほうが後期作品だから、若書きの『ロミオ……』にくらべれば成熟もしくは円熟しているといえなくもない。ただし、あくまでもこちらからの素朴な質問である。


するとその学生(女子学生だが)は、そんな質問をされること自体、想定外だったようで『アントニー……』は読んでいないと答えるではないか。今度は驚くのは私で、「読んでいない作品について、それがいいか悪いかということを、どうして言えるのですか」と問いただした。するとその学生「そう、本に書いてあった」と答えたのである。


「もしそうなら、これこれの本にこう書いてあったと明記しなければいけない。これだと、あなたは、自分の意見として評価を下していることになる。他人の意見、つまり本に書いてあったことなら、そう書いておかないと盗作と同じですよ」と私は述べておいた。この学生は、精神年齢が高校生である(高校生の皆さん、ごめんなさい。中学生である。あ、中学生の皆さんごめんなさい……)。


またこれも20世紀の話だが、ある学生(男子学生だが)が『ヴェニスの商人』で卒論を書いてきた(学校には顔を出さない学生で、指導はしていない)。「ユダヤ人には眼がないとでもいうのか」というシャイロックの有名な台詞を、その卒論では、裁判の場面での台詞と書いてあったので、「これは裁判の時の台詞ではない、あなたがなにか勘違いしている。これはどういうときの台詞ですか」と尋ねてみた。勘違いしている以上、それを勘違いしている当人が訂正するのは至難の業ではない。そこで私は「あなたが使った版本を見てもいいよ」と言ったら、「この場にもってきてはいない」という答え。そこで助け舟を出すつもりで、この「ユダヤ人には……」という台詞は、シャイロックの娘の駆け落ちと関係ないですか。この台詞を誰に向かって言っていたか覚えていますかと、質問してみた。反応がない。どうやら、あろうことか卒論で扱った作品を読んできてはいないのではという疑念が起こった私は、べつの質問をしてみた。


「あなたが使っている版本は、1910年代に出た、わけのわからない本ですが、これはいったいどうしたのですか。新しい本は買わなかったのですか。シェイクスピア作品は、たくさん売れているから、購入するのも簡単で、購入金額も安いのに」と。するとその学生は、実は、本は買っていないというではないか。この本は図書館にあった本だという。図書館にだって、新しい版本は置いてある。なぜこんな古い本を選んだのか、理解に苦しむ。


またその学生の卒論には、「イタリア政府」とか書いてあった、ばかたれ、シェイクスピアの時代に、イタリアには、まだ今のような国民国家は存在していなかったのじゃい。そしてさらに、ある研究書について、「過去十年で書かれた最も優れた研究書」と自分で紹介している*1。ただ、その紹介のしかたは、いかにも怪しいのだが。私は、その学生に尋ねてみた。「あなた計算まちがいをしていませんか。いまから10年前というのは、何年ですか。1978年を、あなたは10年前というのですか」と。するとその学生いわく、「そう本に書いてあった」。またか。あほたれ。


ということで、こういう馬鹿は、早く追い出したほうが、他の学生の迷惑にならないと判断して、ペナルティも課さずに卒業させた。授業で会ったこともないし、卒論指導も一度もしなかった学生なので、私にとって彼は、幽霊よりも実在感がない。


まあ、いま紹介した二人は、たしかにボトムの学生だった。優秀な学生はたくさんいるので、こんな話をしたら彼らのイメージが悪くなって迷惑をかけるのじゃないかと心配するが、ただ、こんなひどい学生がいたということは事実で、この事実に直面しておく必要はあるだろう。

*1:その本の書名は憶えているし、私自身、持っているのだが、その本の書名を明かすと、シェイクスピア研究者なら、「え、その本のどこがそんなにすごいのか」と驚くような本である。