Day 3

Day 3


(木曜日)


昨日までは、点滴の管をつけたまま、動いていたが、今日から点滴がはずれた。点滴がなくなって、昼くらいから食事になるそうだが、点滴がなくなると、というか点滴を吊るすスタンドがなくなると、頼るものがなくて不安になる。スタンドをひきずりながら歩くのはなんとも不便なものだが、なくなると逆に歩きにくくなる。まあ、気のせいだが。


手術後の次の日は、たしかに傷が痛かった。一日中、ベッドに横たわっているのは、よくなくて、なるべく歩いて運動したほうがいいのだが、むりだ。すくなくとも、今日は一日、ベッドに寝ているしかない。ただ、すこしずつだが、傷みは着実にひいてゆく。妹の言ったとおりだ。


昨日から三島由紀夫の『金閣寺』を読んでいる。三島由紀夫は、全部ではないが、たくさん読んでいるといっても、今頃、この代表作を読んでいるようでは、およそ熱心な読者とはいえそうもないが、まだ読んでいなかったのは、読みにくいということもあったが、ほかにも個人的な事情があった。幸い、いまは個人的事情のほうは消滅したので、あと、この作品と私を隔てるのは読みにくさしかない。


ほんとうなら一日で読めそうな分量だし、ましてや入院中で、ほかにすることもないのだが、この作品のなかで主人公が展開する理屈にとことんついていってやろうと思うので、なかなか進まない。読み飛ばさずに、細部まで、徹底的にこだわりながら読もうとしたので、とても一日では読みきれなかった。ということは、今日、読み終わったということである。


点滴が終わったので、あとはいつが退院になるか、それが楽しみで、うまくすれば今週中に退院かもしれないという希望もわいてくる。しかし、まだ痛いことも事実で、体を動かすと痛い。くしゃみしそうになって、ほとんどパニックになった。どんな激痛がはしるかわかったものではないと、必死で抑えた。退院はもう少し先かな。


この日の午後7時頃、病室のドアをノックする音がする。ノックと言っても、鍵がかかっているわけではないし、この時間帯は掃除の人は来ないし、看護師だろうが、看護師ならあとは勝手に入ってくるだけだから、なんの返事もしなかった。妹が来る予定がないが、妹も、勝手に入ってくるだけなので、とにかく放っておいた。すると、「入ってもいいですか」と女性の声がする、それも聞き覚えのある声で。


まったく予期しなかったことだが、英文科の主任の**先生が、見舞いに。あわててもはじまらないし、パジャマ姿のなさけない姿で応対した。いろいろと業務関係の話もあった。来週退院すると話したら、現場復帰は、では7月2日からでどうかと言われた。来週後半から授業ができないわけではないのだが、まだ疲れているかもしれないし、用心して、退院した週は休んだほうがよいということになった。


あと、お見舞いにとお菓子と、それから読む本がないでしょうからと、一冊、本をくれた。と言ってもその本、私が昔、大学の学部生だったころ、大学1年生から、ずっと担任だった英語学の先生(いまはもう退官されているが)、20世紀の終わりに書いた本で、その昔、ユネスコから派遣されて、世界各国の英語教育事情を視察したときの記録。恐れ多い本なので、まあありがたく本棚に祭り上げておこう(その先生から直接いただいたわけではなくて、在庫の処分をまかされた主任が、私に一冊おすそ分けしてくれたというかっこうだった)。


その本をひもといてみると、第一日はインドに一泊。ホテルの洗面台の水道の出かたについての記述があって、驚く。いまから40年か50年前のことなのだ(本は、いまから10年くらい前に出ている)。まあ、詳細なメモをとっていたのだろう。私も入院のことを忘れないないためにメモをとることにした。とはいえ、その詳細な情報は、この記事にはまったく反映していないが。


主任は30分くらいで帰ったが、30分も来ていただいただけで、恐縮している。またその間、院長が顔を出した。私は、心臓が止まりかけたことを、主任に言いそびれていたのだが、院長がそれを話題にして、今後、麻酔をかけるときには、気をつけるように、事前にこういうことがあったからと医師に報告したほうがいいといわれた。


つまり病院での外科手術の場合、心臓は担当医がモニターしているから、心拍数が少なくなってもすぐにわかって、対処できるが、たとえば歯医者で麻酔をかけられた場合、心拍数をモニターなどしていないから、そのまま危険な状態になる可能性があるから、事前に医師に話して置くようにと念を押された。


主任は驚いていたが、私も隠しているわけではなく、なんとなく言いそびれてしまったのだが。後日、私が入院のため教授会を欠席していたとき、主任は、他学科というか他研究室の教員に、私の病気のことを話しそびれたらしい。同じ研究室の同僚からは、**先生は病気で入院して手術まで受けたということを、むしろ言いふらしたほうが、いかに英文科がたいへんなのか、よい宣伝になったのにという声もあったのだが、まあ、誰でもいいそびれることはある。私がよっぽど恥ずかしい理由で、よほど人には言えない病気で入院したと思われてないことを、祈るばかりである。


なお翌日、院長から、退院したら、奥さんに面倒を見てもらうわけだよね。つまり今退院しても、日常生活の世話は奥さんがみてくれるということでいいかと尋ねられたので、いえ私は独身だから、奥さんはいませんと答えた。すると、え、昨日、奥さんが来ていたじゃないかといわれ、一瞬、なんのことかわからなかった。院長は、私の妹のことは、前回の入院のときから良く知っている。手術前の説明と、手術後の説明も妹聞いたので、院長が妹のことを私の奥さんと間違うはずはない。が、すぐに気付いた。そして私は、「あれは同じ研究室の同僚の先生で主任です」と答えた。英文科の主任は結婚しているが、私と夫婦にまちがわれたら、主任も迷惑に思うだろう。