私だけ? Day 6

私だけ? Day 6


(日曜日)


本日からは、七分粥となって、ほぼ通常の食事になる。


日曜日だから院長の回診はないが、他の外科医(院長の弟)の回診があった。火曜日に退院の予定であることを確認した。あとは、のんびりとすごすしかない。翻訳する原書の確認を行なっている。


午後、今回も見舞いがあった。まったく予期していなかったので、驚く。妹が来る予定はない。看護師が何か用かなと思うと、同僚で先輩のX先生が見舞いに。まあ私の住んでいるところは、埼玉県だが、東京の職場に、そんなに遠くないのだが、東京に暮らしている人から来にくいところにあるようだ。いっぽう、この病院は、私の住んでいる市ではないが、私鉄で二駅先の、地元の病院といってもいいのだが、武蔵野線の沿線にもあるので、東京の中央線沿線とか東京西部の住民には、意外に、来やすい場所になっているようだ。


とはいえ火曜日には退院することは研究室にも伝えてあるし、わざわざ見舞いに来てもらうほうどのことでもなく恐縮していると、実は、と仕事の話になった。


英文科も、そろそろ定員割れを起こすかもしれない(まだ定員割れにはなっていない)。もちろん文学の外国文学関係の研究室は、どこも定員割れを起こしているので、これまで定員を確保していた英文が、これから定員割れを起こしても、そんなに恥ずかしいことではないのだが、しかし、英文もいよいよ冬の時代を迎えるかもしれず、それなりに対策を練らなければいけない。そこで私が入院中、英文研究室では会議を開き、今後の対策を考えた。


ついては、私(入院中の)が、映画関係の授業をすれば、学生も関心をもち、学生数も増えて、定員割れを回避できるのではないか。あるいは定員割れを起こして減った学生数を映画関連の授業(卒論で扱うことも可)で、また増やして、定員を確保できるのではないかということだった。


これに対し、私はこう回答した。――私はシェイクスピア映画の授業をしていて、文学史の授業でも映画作品を紹介しているため、英文学と映画というかたちで授業をすることは全然抵抗はないし、また映画に関心がある学生は少なからずいる。映画学科ではないから、映画一般を扱うとか、フランス映画とか日本映画を扱うことはできないし、私自身も、フランス映画や日本映画を教えることはできないが、英文学(可能なら米文学)と絡めて映画について授業をしたり、研究したりするのは、面白いと思う。入院する直前、The Cambridge Companion to Literature on Filmといった本を手にしたばかりだし、映画化作品、翻案作品についての関心は英米圏でも高い。まあそれに、英米圏の大学の英文科の先生なら、たいていは、映画について書いたりしているから、資料とか研究書、評論にはことかかない。私の場合も、趣味に毛が生えたようなものだが、その趣味を行かせるなら、こんなに嬉しいことはないし、自分なりに頑張りたいと思う、と。そう回答した。


それはよかったということになり、まあ、頑張ってほしい、頑張りますということになったが、次に、私は、ほかにはどんな対策があるのですと、質問してみた。


すると、ほかには何もない。私が映画の授業をするだけ。え、それだけ。私だけ。私だけが汗をかけってこと? それをいいに、わざわざ、入院中の私のもとに、いいにきたのか? な、なんと。


後日談1:
そのときは、対策はそれだけだったが、あとで、ほかにも対策案を英文科では考案した。私だけが、汗を流すということはなくなった。


後日談2:
退院してから、学科の会議の席上で、べつの同僚で、見舞いに来たのではない別の先輩が、私に病状を詳しく聞いてきた。胆嚢もとったし、胆石もとったから、食事制限もなくなった。これまでどおりの生活ができるようになった。ご心配をかけて申しわけないと謝りつつ、私のことを親身になって心配してくれるようなので、すこし感動した。でも、次の瞬間、私の回復具合を確認したその先輩は、じゃあ、来年、余分にこれだけ映画の授業をもて、自分の授業の担当分を、あげるからといってきた。な、なんじゃい。てめえ、なんちゅうやつやねん。血も涙もないいんかい。え〜い、感動した自分が恥ずかしくなるわい。