物語作者


今日は、午前中、前期最後の授業で、補講。シェイクスピアの演習で、『ジュリアス・シーザー』を最後までなんとか読んだ。私の入院のため、休講が多くて、補講をしても、通常の授業回数にはまだ追いつかない。しかしかといって、授業が成立しなかったとなると、私が死んだら話はべつだが、学生に迷惑がかかるし、不本意でも、また不十分でも、なんとか授業を完結させるしかない。


ちなみに授業アンケートには、「書くことがなければ、手術で死ねばよかったのにと書いておくように」と言おうと思ったが、忘れた。まあ、他の授業では、このしょうもないネタで、すこし受けたので、よしとしょう。


『ジュリアス・シーザー』の最後、シーザーを倒した共和派の連中が、つぎつぎと死んでゆく。ローマ人は負けたら自害するということを美徳として考えたいたという前提のもと、彼らは死んでゆくだが、自分では死なず、召使いに自分を殺させる(召使に剣をかまえさせ、その剣に自分の体を貫かせて死ぬというように)。


たしかに拳銃などによる自害とちがって、刃物による自害というのはむつかしい。日本の切腹とはちがうわけだから、確実に死ぬためには、他人に殺してもらうしかない。ただし敵に殺させるのはただの戦死だから、親しいもの、自分の分身の手にかかって死ぬことによって自殺の美徳を守ることができる。


ただ、それにしても召使いの手にかかって死ぬとは、考えてみれば意外なことかもしれない。この芝居では最後のほうに、暗殺されたシーザーの亡霊が登場する。シーザーによる復讐が進行する。暗殺者たちは、シーザーを刺し殺した短剣で、自害するのだから、シーザーの呪いのようなものがあるのは確かだ。


そこから考えれば、暗殺者=共和派は、シーザーとは親しい間柄にあったので、シーザーは、親しく信頼していた者たちの手にかかって死んだことになる。そこで、因果応報とでもいうべきか、シーザーを殺した者たちは、自分たちが信頼していた親しい者たちによって−−とはいえ予期せぬかたちではなくて、結果としてそうなるということだが――、召使い(概ね彼らは少年なのだが)の手で死ぬことになる。アイロニックなかたちで復讐も完結する。


いまのような説明をした、私は、なるほどとうなづき、その洞察を褒めたのだが、奴隷と主人、いや召使と主人との関係には、いわくいいがたない何かがあるのではないか。そこのところが気になる。


ベンヤミンには、「物語作者」という著名なエッセイがある。これを読んだことのある読者は、ベンヤミンによって紹介されたヘロドトスが伝える逸話を忘れることはないだろう――ヘロドトスの『歴史』といっても、今回は300とか関係なし)。その部分を、ちくま学芸文庫から引用してみる――

ギリシアの最初の物語作者はヘロドトスだった。彼が書いた『歴史』第三巻第十四章に、多くを学ぶことができるひとつの話が記されている。それはプサンメニトスの話である。エジプト王プサンメニトスがペルシア王カンビュセスに打ち負かされ捕らえられたとき、カンビュセスは彼に屈辱を与えようと図った。カンビュセスは、ペルシア軍の凱旋行進が通ることになっている道に彼を立たせておくように命令した。さらに、彼の娘が、瓶をもって泉に水を汲みにいく召使いにさせられて側を通るのが見えるよう、手配をした。すべてのエジプト人はこの光景を見て嘆き悲しんだが、プサンメニトスだけは言葉なく、身じろぎもせず、じっと視線を地面に落としたまま立っていた。その後しばらくして、息子が処刑のために引き立てられていくのを行列のなかに見たときにも、同様にじっと動かないままだった。しかしその後、彼の召使いのひとり、年老いたみすぼらしい男が捕虜たちの列のなかにいるのを認めたとき、彼は両の拳で自分の頭を打ち、最も深い悲しみのありとあらゆる仕草を示したのだった*1

ベンヤミンは「情報」と「物語」を対比させ、情報は鮮度が重要で、賞味期限内に「時を失うことなくこの瞬間にみずからを説明し尽くさなければならない」(297)のに対し、物語のほうは、記憶にとどまり、あとからいろいろな解釈を誘発する、つまり「物語は、みずからを出し尽くしてしまうということがない。……長い時間を経た後にもなお展開していく能力があるのだ」(297)と。ベンヤミンのいうことは正しいように思われる。このヘロドトスの紹介する逸話は、たとえベンヤミンのこのエッセイの要点が忘れられても、いまなお私の記憶に残っているのだから。「……この話は、何千年を経た後にもなお、驚きと思索を呼び起こすことができるのだ」(298)。それは決してひとつの解釈では汲みつくせないものをもっている。


ベンヤミンは、この逸話についてのこれまでの解釈を紹介している。


(1)我慢の限界説。それまで持ちこたえてきたのだが、老いた召使しの姿がきっかけとなって、我慢しきれなくなった。限界に来ていたので、一本の藁がのっただけでも、橋が落下するようなもの(これがモンテーニュの解釈)。


(2)無辜の犠牲者説。王は自分と身内の死を、最初から覚悟している。戦争に負けたのだから、殺されて当然である、と。しかしその召使いは、部外者で、ただ王家の破滅に巻き込まれた哀れな無実の犠牲者にすぎないため、王は、召使いの運命を悲しんだ。


(3)劇的効果説。年老いた哀れな召使いは、王の運命の客観的相関物である。王は、召使いの姿のなかに、自分の姿をみて、嘆き悲しんだ。王は、自分の家族の者たちの姿に心をゆさぶられることはなかった(彼らは王自身の鏡像とはなりえなかった)が、召使いだけは、あわれな王自身の鏡像であり、召使いという役者が、王自身の姿を舞台で演ずることになった。


(4)緊張弛緩説。それまで我慢していた王は、思いがけず召使いの姿をみて、緊張がゆるんだ、あるいは不意をつかれ、それまで抑えていた感情が噴出した。便意を感じて必死にこらえていたのだが、ふとささいなことで気が散り、思わず脱糞してしまったということか。


解釈はさらにふえることが予想される。しかし私には肝心なこと、もっと単純な解釈が忘れられているように思えてならない。たとえその解釈が、これまでの4パタンの解釈すべてをしのぎ、無効にし、ファイナルアンサーとして君臨するとは思わないにしても。


その解釈とは(5)王は、その召使いを愛していたのである。父親のようにか、友人のようにか、恋人のようにかは別として。王は、その召使いだけは、愛していたのである。


家族が情愛によって結びついているというのは近代国家がつくりあげた、まぼろしの家族像にすぎない。古代の話でもあるし、ましてや王家の話である。家族間の愛情など最初からあろうはずもなく、当然、親密な感情とか愛着感は、実際の家族ではなく、日常的に身の回りの世話をしてくれ、話し相手、相談相手にもり、なんでも打ち明けられ、心をゆることができる召使いとか乳母との関係から生まれたはずである。プサンメニトスが目に留めたのが年老いた召使いということも重要だろう。長く仕えてきた召使いなら、裏切りや憎しみや妬みの感情を捨象した純然たる信頼関係、愛情関係が成立しているとみることができるのだから。


古代あるいは現代もそうかもしれないが、王侯貴族の荒涼たる家族生活のなかで、愛せるのは召使いしかいなかったのでは。そしてその愛情のスペクトルは、肉親愛に匹敵する情愛から、肉体関係にいたるまで、まさに欲望の連続体を形成していたのではなかったか。


最後の時間を召使いの少年たちと過ごし、召使いの少年たちが構える剣で死んでゆく『ジュリアス・シーザー』の登場人物たち。老いた召使いの死に、激しく悲嘆にくれるエジプトの王。ここにあるのはフィリエーションを超えたアフィリエーションの世界でのみ、可能な感情と欲望である。家族愛を超えたところ、あるいは家族愛の根源に、脱家族的な愛情と欲望がある。それを同性愛的とも、クィア的な感情と呼ぶことができるのではないか。


いや、ローマ時代であれ、いつの時代であれ、主人と召使いとの関係がそうだったとか、そうであった場合もあると考えるのは、早計かもしれない。ただ実際はどうであれ、それは、異性愛専制体制以前に、その根源に、同性愛的なものがあるという神話的表象として機能してきたのではないかと思われるのだが……。

*1:ベンヤミン「物語作者−−ニコライ・レスコフの作品についての考察」三宅晶子訳、『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』浅井健二郎訳(ちくま学芸文庫1996)所収、pp.296-97。