真景累ケ淵 2


8月6日の映画会は、ふだんとはちがい、月曜日のウィーク・デイ。そんなに人はいない。ピカデリー2は、全席予約席だったから、参加者3人が並んで席を取ればよかったのだが、ばらばらに席を買うことになった。幹事(Mr Y)は、中央の席。私は両隣が開いていてゆったり座れますよといわれ、スクリーンにむかって右側の席。たしかにその列には、通路側にひとりいただけで、あとは私しか座っていない。そしてもうひとりの参加者の女性(Ms X)は、2階席に。


映画鑑賞後、有楽町界隈の映画館だといつもいく居酒屋で歓談。


私「二階席は、よくみえましたか?」


Ms X「ええ、よくみえました。周りには、いつもとちがって、あんまり人がいなくて、こわいくらいでした」


私「たしかに、月曜日ということもあって、あんまり人はいない。若い人がいなくて、中高年が目立った」


Ms X「わたしの2階席の近くにスピーカーがあって、音が良く聞こえたのですが、トロン顔の菊之助が、黒木瞳の耳を噛むというか、しゃぶるところがあったじゃないですか、あとのきも、そのしゃぶる音が良く聞こえて」


Mr Yと私「……」


私「そこのところ良く憶えていないのだけれど、べつにそういう音はなかったような気がする。どうしでした?」


Mr Y「ぼくも覚えてないですね。はい」


Ms X 「それに映画の最初のほうで、『怪談』というタイトルが出る前に、女の人の笑い声がはいっていたでしょう。ああ、こういうことをする映画なのかと、けっこう感動してしまって……」


Mr Yと私「……」


私「笑い声、それは覚えていないなあ。むしろ、そんな笑い声はいっていなかったのでは」


Mr Y「ぼくも覚えていないですよ」


私「でもまあ、そういう演出もあってもおかしくないから、今度、またこの映画を観ることがあったら、確認してみますよ。うん、近くのシネコンでも、この『怪談』はやっているし、誰かとまた観にいくチャンスがあるかもしれない」


Ms X「それと、途中で、汗臭い匂いがしてきて、ああ、一瞬、これ「におい効果」なのかなって?」


私「それは近くに誰か、汗臭い人がいたからでしょう。だいいち、なんでにおい効果?」


Ms X「『チャーリーとチョコレート工場』なかで、におい効果を出した劇場があったって」


私「そんことを、きいたことがあるような。……でもなんでピカデリー2で。さっきの声の話。あれは、こっちが聞き落としていたかもしれないし、そういう演出があってもおかしくないじゃなない。でも、怪談映画でにおい効果なの。おかしいじゃない」


Mr Y「近くに、汗臭い男でもいたんでしょう。その匂いがエアコンの風かなんかで、漂ってきた」


Mr X「いえ、二階席だったから、私以外に、他に誰もいなくて」


Mr Yと私「……」


私「それって死臭。……あなた、誰かを連れてきたんじゃないの? この居酒屋にも、ついてきてるんじゃないの?」


承前


私自身の記憶違いもあるかもしれないので、以下の記述に、絶対的な責任はもたない。またネタバレが多いので注意。


13.お塁の顔のやけどは、映画では、ケロイドのあとが残るが、肌色のケロイドでそれほど目立たない。原作では、お塁は、豊志賀と同じく、顔の左半分が焼けただれ、髪の毛も抜け、見るも無残な姿になるが(30)、新吉は、それを気にせず結婚して、周囲の評価を上げる。


14.お塁が産んだ子を、新吉が愛せないのは、映画では、赤ん坊が泣かない、目をあけたまま眠らない、赤ん坊の目の上に傷があるなどの理由が暗示されるが、原作では、赤ん坊は、新吉の死んだ兄にそっくりで、怖くて愛せないことになっている(36)。


 この兄、新五郎は、質屋で、お園をあやまって殺し、質屋から100両奪って仙台に逃走。その後、江戸にもどったが、待ち伏せされて、逃げるところ、押し切り(鎌)を踏みつけて怪我をして捕まる(12-14)。その後は新吉の話に移るが、新吉が伯父(実は、父親の使用人)の葬儀の帰りに、新吉の夢の中に登場する(35-36)。夢のなかで新五郎に、盗賊になって暮らそうと誘われる新吉だが、夢から覚めると、新五郎が処刑されて獄門首になって久しいことを知る(36)。そのあとお塁に子供がうまれるが、赤ん坊の顔が新五郎に行き写しなのである(37)。


15.映画では津川雅彦演ずる三蔵は、お塁の父親であり、お賤をめかけとしているが、原作では三蔵は、お塁の姉であり、お賤をめかけにするのは名主の惣右衛門である。映画の三蔵は、原作の三蔵と惣右衛門とを合体させた人物となっている。


16.映画ではお賤と新吉との出会いは、舞妓としてのお撰のお座敷を垣間見た新吉が一目ぼれをするというかたちになっているが、原作では、夢のなかで兄と出会い、生まれ来た子供が兄と生き写しなので、気が滅入った新吉は、和尚から死霊がとりついているため、無縁の墓の掃除でもすればよくなるといわれ、墓の世話しているところ、そこに馬方の作蔵とともにやってきたお賤に出会う。お賤は江戸からやって来て、名主の妾になっているが、名高い「塁(かさね)の墓」を見にやってきて、そこで新吉と知り合いになる(37)。


17.映画では新吉とお塁は、親の三蔵のもとで暮らしているようだが、原作では新吉夫婦は新居をもらう。ふさいでいる新吉をみて、家をべつにしたほうがいいと考えた三蔵のはからいのためである(37)。


18.お塁の死は、映画では、お塁の顔をお久と見間違えた新吉が、お塁の実家の夫婦の部屋で殺害することになっているが、原作では、もう少し凄惨である。お賤と愛人関係になった新吉は、お塁と赤ん坊とをほったらかしにして、毎晩、お賤の家で、作蔵と遊びほうけており、金がなくなると、自分の家にあるものを売ってしのいでいる。お賤と新吉の浮気を聞きつけた三蔵は、お塁に、新吉と別れるようにすすめるが、お塁はそれをきかず、三蔵との縁を切られてしまう(39)。しかし、お塁の窮状をみかねてやってきた三蔵は、お塁が、夏に蚊帳もなく、子供と寝ているのとみて、蚊帳を家からもってこさせ、いくばくかの金を持たせる。三蔵が帰ったあと、入れ替わりに作蔵とともに帰ってきた新吉は、蚊帳がつってあるのを見て、これを質屋にもっていこうとして、お塁から止められる。無理やりお塁から蚊帳をもぎとったので、お塁の爪が蚊帳に残る。また抵抗するお塁に、沸騰したヤカンの湯をかけようとするが、子供にかかってしまい、子供は絶命する。またお塁の半身にも煮え湯がかかり、大やけどを負う(42)。火傷をしたお塁を残して、お賤のところに遊びに来る新吉と作蔵だが、雨のなか、そこにお塁がやってきて、帰ってくれという。お塁を外に残して雨戸を閉める新吉(44)。そこへ新吉のもとへ知らせが来る。お塁が鎌で自殺をしたという知らせが(45)。


19.このあたりからうろ覚えなのだが映画では、お塁の死を知ってからだったか、あるいはその前か、お賤と新吉がいるところに三蔵がやってきて、新吉を責める。身の危険を感じた新吉は三蔵を刺すが、三蔵はそれでは死なない。怪我を負いながらも帰る三蔵を、お賤が後ろから止めを刺すかたちなる。原作では、お賤と愛人関係になった新吉は、お賤にそそのかされて、名主の惣右衛門を殺す(47)。しかし名主が殺された証拠をつかんだ土手の甚蔵にゆすられた新吉とお賤は、甚蔵を殺して、ふたりは行方をくらます(53)。お賤と新吉が、再び登場するのはずっと後、5年後、物語の終幕である(83〜93。ちなみ全97章)。


 新吉を中心にした映画は、原作の前半を映画化したことになる。


20.映画では村上ショージが演じている土手下(どてした)の甚蔵は、新吉がつきあう悪い仲間で、お賤ともつきあいがあるという設定だが、原作では、かなり重要な人物となって、その登場は新吉がお久を殺す頃まで遡る(23)。雨のなかお久をあやまって殺した新吉は、農家に逃げ込むが、そこが甚蔵(評判の悪い人物として設定されている)の家で、甚蔵は、雨の中、女を殺した男がいることを知っている。新吉がその犯人ではないかとにらんだ甚蔵は、新吉と兄弟分になるという条件で、新吉に告白させる(26、兄弟分であるからには、新吉の行動を以後、甚蔵が口外することはない)。映画では甚蔵が、新吉のお久殺害を目撃していたことになっていて、その証拠の品として、鎌をみせる。甚蔵とお賤は、新吉をゆする。


 なお映画では、お賤が殺した三蔵を、川に沈めに行った甚蔵が、みずからも誰かの手によって川に引きずり込まれ溺死するということになっていた。原作では、名主の死後、湯灌を新吉にまかすという遺言(そうしないと、首の周りにある紐のあとで、殺人が発覚するので、お賤が名主を騙してそのように遺言を書かせたもの)に従うが、新吉は、湯灌する方法がわからず困っていると、そこに、甚蔵がやってきて、手伝う。またそのとき甚蔵は、名主が殺されたことを知り、あとでお賤と新吉をゆすりにきて(50)、騙され殺される(52)という設定。


以下.最大のネタバレ注意。


21.映画ではお賤(瀬戸朝香)と新吉(尾上菊之助)との関係について、ただ出会って知りあいになる程度の関係にすぎないが、原作では、深い因縁が仕組まれている。旗本深見新左衛門は宗悦を殺してから、奥方が病気がちになり、中働きの女を雇う。お熊というその女は新左衛門の子供を宿したという(6)。その後、奥方が宗悦の呪いで死に(7)、また新左衛門も殺され、深見家は改易となり、お熊は、産み落とした女の子とともに、深川の網打ち場に引っ込む(8)。またその頃、二歳くらいだった新吉も、門番の勘蔵がひきとる(8).この門番勘蔵は、新吉に、自分のことを伯父として説明し、新吉も長らくそのことを信じていた。このお熊の娘が、その後の「お賤」なのである。つまり新吉とお賤は、異母兄妹なのである。


 しかもこのお熊、もともとは武士の家の娘だったが、十六のとき、父親の家来の男と駆け落ち、17歳で子供を産むが、亭主に死なれて、その子を捨てる。その子の名前は勘蔵。身体的特徴から、土手下の勘蔵とまちがいなく、勘蔵とお賤は、父親は違うが兄妹であることがわかる(87)。お賤は、原作では、実の兄を殺したのである。


 その後、お熊は船頭と結婚するが、先に死なれ、小日向の旗本深見家に中働きに出て、そこで深見新左衛門の子供を宿すことになる。その後、お賤を芸妓にするが、自分は、別の男と出奔、尼の格好で、諸国を遍歴する。そんななか、新吉とお賤に出会う。


 新吉は、お熊が働いていた旗本の家が自分の家であることを知り(88)、鎌で、お賤を殺し、自殺する。またこのとき尼となっていたお熊も、自分が旅の老婆を殺したことを悔いて、その鎌で自殺する(93)。


 物語の後半、殺された名主の残された家族の物語となり、さらに名主の長男を殺した武士のあだ討ち物となるが、物語の最後に、名主を殺した新吉とお賤が登場、また名主の子供も登場し、前半と後半の物語が合体して大団円を迎える。