審判


ある公的機関において研究費の配分を決める審査員をしたことがある。審査員であることは、任期中には公表されず、任期後、数年後に公表される。もう私の名前も発表されているから、秘密でもなんでもない。とはいえ審査会議の結果ではなくてプロセスについては、とくに公表されていないから、ここでは機関の名前は書かない。また以前のことなので、現在ではシステムが変わっているかもしれないので、昔、こんなことがあったという記録でしかないかもしれない。そして、なにか面白い暴露的記事が書けれるといいのだが、残念ながら、それはまったくない。審査は粛々と公平に行なわれたにすぎない。


審査は二段階に分かれていて、第一段階では、複数の審査員が応募書類を一人で全部見て、点数化する。あくまでも誰にも相談せず、一人で判断する。複数いる第一段階の審査員の評価は、事務局で集計し、集計結果をもとに第二段階の審査がおこなわれる。第二段階の審査員は各分野2名で、同種の分野が集まった分科会で決定される。


私が学会から審査員として推薦してもいいかと打診されたとき、特に断る理由もなかったので承諾した。第一段階の審査員かと思ったが、第二段階の審査員だと聞いて、それなら私のような40歳代の若造が選ばれることはないだろうと思い、推薦を承諾した。ふたをあけてみたら選ばれてしまった。40歳代の若造だったから逆に選ばれてしまったのである。


第二段階の審査というと、それこそ学会の大御所のような人物がするものと思っていたし、そういうイメージでしか考えられなかったから、学会で推薦してくる場合も、年輩の男性が候補者になりがちである。しかし、それはよくないということで、年齢的には若い世代から、またジェンダー的には女性を推薦するようにと機関から要望がくる。私は若い世代の審査員ということで選ばれてしまったのだ。


第二段階の審査は、思ったよりもたいへんではなかった。第一段階の場合は、たくさんの応募書類に目を通して評点をつけるという長くて孤独な作業を強いられる(それも一月以降の大学関係者にとっては入試などがあって忙しい合間に暇を見つけてしなければいけない)。第二段階の審査は、合同会議に出るだけである。分野によっては応募書類も多いので、二日くらい日程が組まれているが、英文関係は、応募書類が最も多いものの、それでも一日で済んだ記憶がある。朝から晩まで? いやちがう。朝の10時くらいから昼の1時頃まで(しかも弁当がでる)。第二段階は楽である。


では、逆に、ここで与えられた権力を使って、思う存分、好き勝手な審査をしてやろうと思ったが、いえ、そのようなことを考えても、それはむりであることがわかった。


理由はふたつ。ひとつは審査員がもうひとりいることである。一人で好き勝手なことはできない。


任期は2年。各分野2名のうち、2年目の審査員と初年度の審査員が組むことになる。私にとって初年度は、私よりも年長の女性の審査員と組むことになった。


会議室の大きなテーブルに、同じ分野の審査員が隣り合って座る。そこに審査資料が配られる。応募書類全部。第一段階の審査員が提出した評価を記入した書類の写し。第一段階の審査結果を事務局のほうで数値化した書類。あとは審査基準などを書いた書類など。


事務局のほうから説明があったあと、二人の審査員で審査する。何を決めるのか。ボーダーラインの応募者のなかから最終決定者を選ぶのである。


第一段階の評価は、5段階評価だったと思う。第一段階の審査員は応募者に5段階評価をつけ、必要があればコメントをつける。事務局で第一段階の評価を集計するのだが、それは素点を平均化するのではなく、一定の基準に基づいて偏差値のようなかたちで点数化する。そうして上位から合格者を決めてゆく。そうするとあるところまでくると同じ点数の応募者がずらりと並ぶことになる。ボーダーラインが形成される。全体の配分額は決まっているか、そのなかから何人選べばよいかがわかる。あとは二人で誰を合格として誰を落とすかを決めるのである。


つまり事務局で第一段階の審査結果はすでに数値化して出している。渡される書類には第一段階の各審査員の素点をはじめとして、いろいろな数値がずらりと並んでいる。そうした数値から、合格者と不合格者がかなりのところまで自動的に決まる――ただしボーダーライン上の応募者が出る。このボーダーライン上の応募者を除けば、すべて自動的に決まる。そこに審査員の独断と偏見が入り込む余地はない。これが好き勝手にできない第二の理由である。


もちろん審査委員は、数値化に基づく、採用・不採用の決定を覆すことはできる。それには理由を説明しなければいけないし、理由も、メモ書き程度でよいものから、会議で審査員全員に説明せねばならないこともある。数値による決定を覆すのは、相当覚悟がいるし、責任も重い。よほどみるにみかねて、決定を覆すというのならまだしも、自分の好みや独断で決定を覆すのは、面倒なことこのうえない。なにもわざわざ困難な道を選ぶ必要はない。


なお、私も、もう一人の委員も、今回、応募していた。審査員は応募していてもなれる。応募が先で、そのあとで審査員が決まる。応募していると審査員になれないような気もするが、それをいっていると人がいなくなる可能性もあるのだろう。幸い、私も、もう一人の女性の審査員も第一段階での審査の数値からして採用が決定し、研究費交付が決定していた。ほっと胸をなでおろすというのはこのことだろう。私たち二人は、研究費交付の決定をいち早く知ったことになる。


しかし、喜んでばかりはいられない。参考に提出された第一段階の審査の書類を見て気になることがあった。第一段階のある審査員が、自分の所属する大学から出された研究応募(あとで、その審査員もその大学の研究グループに入っていたことに気付いた)に対して、5段階評価のうち「4」と付けていたのである。


その審査員は有名大学の先生で、名前を知っているが会ったことはないので顔はわからない。とにかく、名前の知られた人であった。自分の所属大学から出された研究計画に「5」の評価を与えてもよかったのに、「4」の評価を出しているその教員の審査を見て、私は正直、尊敬した。世の中にはこんな公平な審査ができる人がいるのだと、かなり感動もした。自分の大学なので必要以上に厳しい評価を下したのかもしれないが、それはそれで感動に値した。しかし次の瞬間、感動は、激しい侮蔑に変わっていた。なぜならその審査員、自分の大学の研究計画に「4」をつけたのはいいのだが、それ以外の研究計画すべてを「3」かそれ以下にしているのである。あ、あほか、こいつは。自分の大学の研究計画を「4」にして、後はそれ以下にしておけば、自分の大学のは絶対に通る。また「5」だと目立ちすぎるので、「4」にしたのだろうとも推測できた。なんと姑息な野郎だ(男性だったのだが)と、ほんとうにあきれた。


まあこういう人間が出てくることを予想して、第一段階の審査結果を数値化するとき、自分が所属する大学、あるいは自分が参加している研究グループの研究計画の場合、評点には自動的に操作が加えられて、数値を公平化する処理がなされるのである。だから審査員がいくら評価をゆがめても、全体に影響を及ぼすことはないようになっていて、ある意味、そちらのほうに感心した。またその研究計画は、そんな姑息なことをしなくても、りっぱな研究計画で、文句なく合格するものであった。事実、他の審査員は高い評価を与えていたし、もし私も第一段階の審査員だったら、その計画に対しては、「5」か「4」の評価を間違いなく与えていたと思う。だから最初から合格は間違いなかったし、事実、数値は合格点であったし、そうであるがゆえに、その姑息さ、馬鹿馬鹿しさが目立つことになった。その人物の顔はわからないのだが、名前は心の手帖にしっかり書き留めておいた。コメント付きで。どんなコメントかは、それこ心にしまっておくが。


私の所属する大学では、ふたつの学部から数人が応募していた。私の所属する学部からは、私と、私の同僚の二人が応募した。またべつの学部からは五人か六人の応募があった。すべて第一段階の審査で合格していたので、問題はなかったのだが、合格とはいえ、私と私の同僚の出した研究計画は4、別の学部の研究計画はすべて5というか、そういう差がついている(正確な数値は、小数点付きで出されるのだが、それは忘れたので、わかりやすく4と5にしておく)。どちらも合格しているからいいようなもの、なぜ私と私の同僚の評価は、別の学部の研究計画よりも低いのか、ちょっとむっとした。そこで応募書類を見比べてみることにした。


結論からいうと、私と私の同僚の研究計画と、べつの学部に所属する教員の研究計画とは基本的に差がないし、そこに優劣をつけるというのは、どういう判断なのかと正直言って疑問に思った。いや、私は、贔屓目で見ていて、自分と自分の同僚の研究計画の欠陥が見えないていないが、第三者がみれば、私たちのふたりの研究計画と、別の学部の六人の研究計画には歴然たる差があって優劣はつくのかもしれないと、そう思われているかもしれない。そんなことは断じてない。なぜなら、どの研究計画も合格圏内にあると思うのだが、同時に、どの研究計画(私のそれを含む)も、欠陥がある。どこかで苦し紛れに帳尻を合わせるようなところがあり、それが透けて見えるのだ。それは私と同僚の研究計画も、多学部の研究計画も同じである。だから優劣はつかない。私と私の同僚の研究計画は、たとえ4どまりだとしても、他学部のそれだって4どまりで、絶対に5ではない。そう判断が下せるのだ(事実、他の第一段階の審査委員の評価では、私たちの学部と、多学部との研究計画に優劣をつけていないのである)。



となると最終的に、これは政治的判断が働くのだろう。私たちの学部には低い評価しか出さず、もうひとつの学部には高い評価を出すという意志がみえてくる*1。そういう意志をもつ審査員がひとりで助かった(まあ結果的には実害のないえこひいきだったのだが)。とにかくそういう偏った政治的判断が働くことは、こういう審査では避けられないのかもしれない。つまりこれはただ感じ悪いではすまされないのである。


知り合いが応募していたが、彼は落選していた。能力、実力など問題はない人だったのだで、どうして落ちたのか興味があったので、応募書類と第一段階の審査員の素点をみてみた。う〜ん。たしかにこの応募書類。明らかに書き方が間違っているところがある。それから書類の各欄に、余白が目立ちすぎる。少なくとも、こういう書類の場合、記載する欄にめいっぱい書き込むのが常識ではないか。たとえば賞罰を書き込む欄があれば、これはなければ空白だし、またあっても余白ができたとしても問題ない。どこまで欄を埋めるかは、現実の事実が決める。しかし記載事項を特定されていて、自分の考えなり予定を記載するときには、与えられたスペースを全部使うのがふつうだろう。たぶん急いで書いていたか、やる気がなかったのか、すかすかの応募書類であって、これだと、いくら知り合いでえこひいきしようにも、高い点数は出せない。ましてや知り合いでなかったら、自信をもって不合格にできる内容だった(またその書類では、ただのアンソロジーを、研究書であるかのように書いてて、内容にも問題があった)。


この件で、その人と話したことなどないが(当然、守秘義務があるので)、その後、その人は応募して、採用されたようだから、このときは、なにか事情があって、満足のゆく書類を書けなかったのだろうと推測する。


さてボーダーライン上の人選である。


まず知り合いを落としてやろうと考えた。しかしそれはなかなかむつかしいこともわかった。ボーダーライン上だからいちいち理由を告げなくても、これはダメと決めればいいのだが、そう簡単にいかない。いくら私がうぬぼれが強く、知り合いはみんな馬鹿ばっかりと思っていたとしても、研究費をもらっても、なにも研究できないほど馬鹿であるとまでは思っていない。それだったら研究者になれるはずがない。研究費をもらっても、ろくな研究もできないだろうと思ってもいいが、それては天に唾するようなもので、自分にも跳ね返ってくる。また研究費をもらえば、それまでできなかった研究もできるかもしれない。その可能性を否定はできない。


もちろん妨害ということもある。今述べた例、自分の関係するとろこだけに高い評価を出しすのは、間接的な(いや直接的というべきか)妨害である。また特定の大学、特定の学部の人間に低い評価を与えるのも妨害であろう。しかし第一段階の審査委員は複数いるので、全員が特定の人間を妨害する、あるいは全員から妨害されるとういことはまあ考えられない。


かりに私が、かなりの数の第一段階審査委員から憎まれていて、妨害されて、不採用になっても、先ほど私が知人に対する判定に興味を抱いたときのように、私のような有名人が落ちていると、第二段階の審査員がなぜかとチェックする可能性が高い。いやべつにそんなに有名人でもなんでもないのだが、仮定の話である。有名人ならチェックしてもらえる。なら私が無名の人間だったら、ただ不正な妨害を受けて泣き寝入りということになるかというと、それも可能性は高くても蓋然性は低い。なぜなら、そんな無名な人間を誰も妨害したりしないのである。有名だからこそ憎まれる。無名な人間を憎むのは、その無名な当人を除いて、誰もいない。


不正については、自分でそれを摘発するのには大変な労力を必要とするし、また不正に気づかず終わることも多いが、自分から不正をする(権力を濫用する)となると、けっこう面倒くさい。しかも第二段階の場合、不正は。ボーダーライン上の人間に対してしか行使できない。結局、ボーダーライン上の応募者に対しては、その書類を丁寧に読んで、決めるしかない。会議室にいつまでも閉じ込められるのは嫌だし、審査を終えたら早く帰りたいではないか。


ボーダーライン上に応募者への最終決定は、私ともう一人の審査員との間に判断の大きな相違はなかったので、順調に進んだ。


では、どういうところで判定するかというと、やはり、書類が綺麗であることは有利に働く。字が下手だとか汚くても、それに惑わされないというのは、筆記試験の場合は重要なことだろう。限られた時間に、急いで答案をつくるのだから、読みにくい殴り書きのような文面でも、解読して判定すべきである。しかし時間的制約はなく、印字して提出する書類の場合、見た目が汚いのは致命的といってよい。急いであわてて作ったような書類は、応募者の計画性のなさをうかがわせるし、誠実さも疑わしいことになる。


また不備のある書類はめったにないが、それでも時々それをみつけると、自動的にボツにまわす。それから矛盾したふたつの原則の間で立ち往生することもある。どういくことかといえば、ひとつには研究の継続性を考慮すべきという原則。これまで研究費をもらった人のほうが、もらわなかった人よりも有利である。研究を継続しているということもプラスの要因としてはたらく。しかし、また限られた研究費はなるべく多くの人に回したほうがいい。そうなるとこれまで何度ももらってきた人には、遠慮願うことになる。このふたつは矛盾した原則である。


そう、その矛盾にどう対処したのか。こうした研究費交付の場合、一度、もらって研究をしているほうが、有利にはたらくのは、審査をパスし、研究の実績もあがっているなら、再度、研究費を申請したら、認めても問題ないだろうという判断がはたらくからである。初めての応募者には、未知の要素が多くて、おいそれとは研究費を渡せない、とういことになる。しかし、これをすると特定の研究者に研究費が何度も交付されることになる。金持ちはますます金持ちに。貧乏人は、いつまでたっても貧乏人に、という事態は避けられない。


ただ審査当日、こうした矛盾に悩まなかったのは、どうしてかと、いまにして不思議に思えてきた。当日の審査では、ボーダーライン上の応募者で不採用になる応募者は少なかった。ほんの数名を落とせばいい。幸い、書類をみていると、不備があったり、やはり他の書類とは見劣りがするとか、そんな明白な落ちる応募者数名をピックアップできた。すると、それで、採用人数はうまく調整がとれた。審査は終わってしまったのである。問題の矛盾点に逢着することはなかった。


ところで応募書類に不正があったらどうするのか。自分の研究業績をでっち上げていたらどうなるのか。自分の専門と重なる部分が多いと、これはおかしいと、こちらも見抜くことができるのだが、たとえばいくら英語英文学関連の分野とはいっても、その分野について、満遍なく専門的知識を持っているわけはない(それは当然である)。となると、自分の知らない下位分野での応募書類に不正があっても、見抜けないことになる。やはり抜け穴はあったのかと思われるてしまうかもしれないが、それでも問題ないのである。


つまりある人が、自分のありもしない業績をでっち上げて書類に記載した。嘘の記載であるが、それに気づかなければ、でっちあげでも、立派な業績表である。そのため問題なく研究費の交付が決定したとしよう。誰も書類の嘘の記載に気づかなかったとしよう。それでもいいのである。もらったお金で研究して、研究成果を公表すれば、学問研究の世界が充実するのだから。飲食費を交付するわけではなく、研究費である。それは研究に使い切らなければならない。だったら問題ないのである。巧妙に虚偽の記載をし、複数の審査委員全員がそれに気づかなかった、そんな応募者はこれまでにいないことを祈るしかないが、もしいたとしても、その人は自分が摘発されないためには、りっぱな研究をすればいいのであるから、問題ない。いや、そのために有能な研究者に研究費が回ってこないことについて、どう弁解するのかと批判されるかもしれないが、その詐欺師が蹴落とすのは、無名の研究者であって、有名な研究者はたいてい、研究費をもらえる。そうした場合、無名の研究者には申し訳ないが次回を狙ってもらうしかない。しかし、実際に、そうした詐欺行為があったかどうか、私は知らないから、あくまでも仮定の話である。


あとらさに雑感。


以前、私は3人で研究グループをつくって、この研究費をもらう計画に参加したことがある。リーダーではない。研究代表者になる人物が書類を全部書き、私ともう一人は、自分の業績表を書けばよかった。ちなみに、代表者からは、彼が書いた書類のコピーも送られてきた。そのときそのリーダーの書いた業績表をみて、ちょっと驚いた。多くの論文に、共同研究者がいて、その数も30人、40人、50人と、半端ではないのである。その人、そんなに多くの人数を抱える共同研究に参加していたのかと、驚いたが、次の瞬間、もっと驚いた。その代表者は、文芸誌とか思想誌に論文を掲載したとき、その号に書いた執筆者全員の数を数え、30人なら30人を共同研究者にしてしまったのである。なにを考えとんのじゃいと思い、代表者に、あなたの業績表の書き方(共同研究者の欄)は間違っていると指摘したが、指摘を感謝するとも、これで正しいのだとも何の返事もなく、結果、研究費はもらえなかった。まあ、あの書類では当然だ。


以前、この研究費に応募するとき、先輩から、これこれこういう研究計画にするとか、こういう点を力説しておくと、通りやすいといわれて、そのとおりにしたことがある。しかし今回、審査会議に出てみて、特定のテーマなり方法なりプロジェクトを支援するように指示をうけたことはない。みんなその審査員の判断にゆだねられるだけである。強いて指示をうけたことは、私立大学にも枠をもうけているので、かならず私立大学からの応募者を何人か採用してくれということは事務局からいわれた。しかし、ないようについての支持はなかった。その先輩は、勝手に思いこんでいるふしがあるが、ただ以前には、そういう指示があったのかもしれない。


あと会議は大口の研究費を決定して(これは応募数が採用数以内だったので、問題なかった)、午後1時から2時の間に終わった記憶がある。午前10時から始まって昼食時間をいれて3時間くらいで終わった(正味2時間だった)。おもったより楽で、ほっとした。来年も同じ時期に審査会議があるが、この調子なら、来年も早く終わるだろうと思った(事実そのとおりだった)。


会議が早く終わったので、私はその足で大学に行った。そこで地獄が待っていた。それは次に。

*1:ただし、私たちふたりが憎まれていることもある。私たち二人にはあきらかに敵が多い。ただし私たち二人に共通の敵はいないのだが。