暗い日曜日II


どうしてこんなことに気づかなかったのだろうと、いや、むしろ久しぶりかもしれないと、小さなチョコレートのボールの入った箱をみつめていた。


でもチョコレートは、かたいかな。飴のようになめてもらえばいいのだが。だったら最初から飴にしておけばいいのか。とはいえ飴がどこにあったのか、私は記憶を探ることになる。けっこう大きな飴もあって、それを口に入れたりすると、のどがつまったりする。


思い出すのは、コンビニで、たまたまみつけた蕨餅のようなものを持って行ったときのことだった。ちょっと一口食べてみたらというと、それを口にした伯母の顔に満面の笑みが広がった。伯母は甘いものが好きなのである。


もっともコンビニの菓子なんて、防腐剤と化学物質の塊で、およそ食品といえるしろものではなくて食べ続けたら病気になるようなものだが、まあ、子供ではく、四捨五入すれば100歳になる老人だったら、その強烈な甘さと旨味で、中毒や病気になることもないだろう。私もひとつつまんでみたが、確かに、甘くて美味しい。


あれから毎回、その蕨餅のようなものを持って行ったのだが、季節限定商品だったのか、いつしか店頭から消えた。またそもそも、そんなお菓子をもっていくこともなくなった。


そうなのだ、またもっていけばいいのだ。残念ながら、伯母は、目も見えなくなって、耳も遠くなって、私が誰なのか分からなくなっている。目も見えなくなっているし。お菓子をもっていったところで、それで急に認知症が消えてしまうわけではないだろう。それでも、顔に広がる満面の笑みを見ていると、なにかコミュニケーションが成立するような気がしてくるのだ。すくなくとも、味覚を通して、伯母の心に触れたような気がするのだ。


……だが、夢だと気づくのに、そんなに時間はかからなかった。本当は、老人ホームの面会のときに、食べ物をもっていってはいけないし、またどうしてももって行きたかったら、報告しなければいけないのだが、それでも黙って持っていった。それもなくなったのは、忘れていたり、うっかりしていたのではなくて、伯母がもう飲み込めなくなっているからだった。お菓子も含めて、あまり食べ物を欲しがらなくなったことも事実だ。いや、私はここで頭をはっきりさせておかねばならなかった。伯母は、いま口から管を入れて、経管栄養というかたちでしか、栄養をとれない。小さな飴でも持っていこうというのは、昔の思い出にひたった夢にすぎなかった。


私も今回の手術のあと、鼻から胃へと管を通されたが、思ったよりも苦しくなったと同時に、やはり違和感は拭い去れなかった。いま伯母は、こうして横になっているだけで、私が誰であるかもわからない。そもそも自分がどこにいるのかもわからないでいる。病院であることをどうやって理解させたらいいのだろう。


……だが、またも夢だと気づくのに時間はかからなかった。伯母はそももそもこの世にいない。ホームへはだいたい土曜日か日曜日に見舞いに行くことになっていた。それが日曜日に見舞いに行かなくてもよくなって、2ヶ月以上たった。毎週習慣にしていたことがなくなったので、逆に心がやましくなったのかもしれない。


私は2ヶ月間、日曜日になっても、伯母のとこに見舞いに行っていない――見舞いに行く必要がなくなったのだが、それが行っていないという罪の意識になった。その罪の意識が、こんな夢を見させてくれたのかもしれない。だが夢はまた、願望充足でもある。たとえ一瞬であれ、伯母のとのコミュニケーション行為の希望を、長く失っていた希望を、もたせてくたれたのだから、この夢は。