電話テロ


いまから6年前のこと、夜、私のところに電話がかかってきた。電話の相手は、私の知らない、また私が聞いたころもない人物だったが、私が最近出版した翻訳の、とくに固有名詞の日本語表記がおかしいという。それはアラビア語関連の表記なのだろう。


私はこいつは危ないやつだと思った。そもそも仮に表記がおかしいと発見したとしよう。電話かけてくるか?! 見知らぬ相手に。一覧表でもつくって手紙なり文書として送ってもらえれば、それはけっこう役に立つかもしれないが、電話でいったいどうなるというのだろうか。私としては、「はい、はい、分かりました。お前の相手などしているほど暇じゃないんだ。二度と電話をしてくるな」とすぐに電話を切ってしまおうかと思ったが、まあ、それでは火に油を注ぐことにもなるし、非礼かもしれないので、とにかく話は全部おとなしく聞くことにした。


表記問題は、結局、決定的なものがない。外国語をカタカナ表記をするからにはどうしても限界がある。出来る限り原語に近づけるという原則を立てても、実際には慣用という壁に阻まれる。たしかにメディアにおける表記は、短くなる傾向があり、それによってどんどん原語の発音から離れてしまい、批判も多い(昔は「タリバーン」だったが、いまは「tリバン」になった)。しかしかといって原語に可能な限り忠実に表記してしまったら、専門家の間でならまだしも、一般読者に対してはまったく意味がない。


その馬鹿は、自分たちはこういう本だったか、こういう事典だかをつくって、表記の統一につとめているから、それを参考にされるといいというが、そんなもの参考したら目も当てられない悲惨な結果になる。まずそれは彼ら一派がつくった本だろう。その彼らが、どんなに多数派であっても、その一派に属さない人たちだっている。相手は、私の大学の同僚ではなかったので、またへたにそんなものを参照すると危なくなる可能性がある。私の大学の同僚なら、それなりに意見を聞いて、逆に相談に乗ってもらってもいいのだが、そういうことでもないようだ。


専門家のつくった事典の表記は、原語に近い信頼のおけるものかもしれないが、まあ、たいていそういう表記は長音が多くなる(先に述べたようにメディアあるいは慣用における表記の短縮化に反対するわけである)。しかしエウリーピデースと一語にふたつも長音がはいるような表記はうざったくて普通の文章には、使えない。誤解のないように言い添えれば、ギリシア演劇を論じたり、それを翻訳したりするときは、「エウリーピデース」でよい。また専門家が長音を正しく再現するのは問題ない。問題は非専門家である執筆者が一般読者にむけた文章なり翻訳で、原語に忠実な表記がどこまで妥当かということである。


「ギョウテとは、俺のことかとゲーテいい」という川柳にあるように、「ゲーテ」という表記は日本でしか通用しない表記である。バッハではなくて、バックのほうが原音に近い。チェーホフではなくてチェコフ。あるいは「ベートーヴェン」は、英語読みでドイツ語読みの表記ではない。こうした慣用化した表記については、それを原音に近づけるのは至難の業である。まあ専門家の努力によって、原音に近い表記になることもあろう。私に電話をかけてけた、その糞オヤジは、専門家からみて正しい表記にする運動に、私を引き入れる、あるいは私の協力を仰ぎたい(仰ぎたいというほど礼儀正しいものではなく、むしろその逆だったが)のかもしれないが、そのような党派活動に参加していいかどうかは、こちらとしてはじっくり見極めなければならない。そもそもいきなり電話をかけてくるような馬鹿ならびに、その馬鹿が属しているグループを信用することなどできない。


表記にもどると、alternativeという英語がある。これを名詞化して使う場合、うまい訳語がないとき、カタカナで表記することがある。私は原音に近いように「オルターナティヴ」と表記するが、英語の発音が耳に浮かばない場合、これは日本語として読みにくいものかもしれない。短縮化して「オルタナティヴ」でもよいことになる。あるいは「オールタナティヴ」という表記も実際に行なわれている。発音上は「オー」となることもあるが、そこに強勢はこないので、「オルターナティヴ」か「オールターナティヴ」がよいことになるが、これは悪しき原音再生主義だろう。また「オールタナティヴ」というのは、日本語にすると「オー」に強勢がきて、原音とずれるが、日本語的には発音しやすい。かくして「オールターナティヴ」「オルターナティヴ」「オールタナティヴ」「オルタナティヴ」の4種の表記が並存することになるが、いずれひとつに決まるかもしれない。また決まらなくても、「オルターナティヴ」派が、「オールタナティヴ」派をまちがいだ、正せということは意味がないのである。


こうしたことを理路整然と短時間に説明するのはむつかしいので、その時私は、相手の主張を全部聞いてから、「専門家としていろいろ疑問に思われることもあるでしょうが、慣用表現ということもあり、こちらは、一応、慣用レヴェルではきちんとチェックしていて、とやかくいわれる筋合いはない。また、たとえば「フランス」という表記だって、英語でもフランス語でも原音に近づければ、日本語でいう「お・ふら〜んす」というようなときの「ふら〜んす」という表記が望ましいかもしれませんが、「フランス」というのは慣用になっていて、フランス関係者もそれを我慢しているわけですから、専門家であっても我慢していただくしかないのではないでしょうか。ただ、これは目に余るというようなものがあれば、表にでもしていただいて送っていただければ、こちらでも検討させていただきます……」と言おうとして、実際に言ったのだが、その時、電話は切れていた。


くそ、馬鹿、糞おやじめ。言いたいことだけを言ったら、反論を受け付けずに勝手に電話をきりやがった、むかつく。と、そのとき、私は音を消していたテレビの画面に目をやった。それは衛星中継で、ニューヨークの世界貿易センター・ビルが燃えている映像だった。


同時多発テロと区別して、私はそれを9.11電話テロと呼んでいる。