消えかかっている貞子


帰りの地下鉄のなかで、若い女性が「貞子をみた」とか話している。『リング』のDVDを見たというようなことなのだが、ただ「貞子をみた」というと、映画『リング』のあの貞子的人物を直接見たのかと思わず驚くほど、映画の影響力は大きい。いまでも怖い映画(原作の小説も怖かったが。また連続テレビドラマ化されがた、それも怖かった)として語りつがれたり、見られたりしているのだろう。


しかし『リング』の貞子が有名になりすぎて、日本にあまたいる貞子さんが迷惑をこうむっているかもしれないし、また本来有名な貞子さんの影が薄れていることも気になるところだ。


沢村貞子さんはもう亡くなられたが、私が子供の頃は、貞子といえば、この人のことを思い浮かべた。またいまでは貞子というと緒方貞子(元国連難民高等弁務官)という有名な人を思い浮かべるが、この人などは、迷惑をこうむっているのかもしれないが、有名な人なので、そんなに影響はないのかもしれない。


リングの山村貞子のモデルは高橋貞子で、映画の貞子の母親志津子のモデルは、高橋貞子の母親御船千鶴子ということになっている。御船千鶴子は霊能者だったが霊能力が衰え、周囲からインチキと馬鹿にされ自殺したということだが、私は、無実の人は自殺しないとというオスカー・ワイルドの言葉を信じているので、自殺したのは、いんちきの証しではないかと思っている。ただいじめにあって死ぬ人間は多いので、彼女もいじめが耐えられなかった可能性がある。どちらかは決めがたい。どちらの可能性もあるし。


しかし、いんちきかどうかはともかく、こんなどうでもいい霊能者の無駄知識が前面に出てきたおかげで、影が薄くなったり、脇に追いやられてしまった貞子がいる。緒方貞子氏は生きているし、これからも活躍するだろうから、『リング』の貞子のまさに一人歩きによってこうむった迷惑を跳ね返すこともできるが、死者はどうしようもない。忘却されるしかない。私は『リング』の作者が「貞子」という名を選んだのは、悪意(無意識のそれも含む)以外のなにものでもないと思っている(なぜなら小説・映画中で、母親のほうには、モデルとなった女性の名前を変えて使っているのに、その娘のほうは名前を変更していないのだから)。それはまさにoutrageousな選択だった。


消された貞子が誰だったか。もちろんその記憶はいまでも受け継がれている。全世界で、まだ受け継がれている。しかし東京の地下鉄の若い人たちには受け継がれていない。これがなさけないのである。


私は今年の7月、広島の平和記念資料館に、生まれて初めて行った。そこで貞子の展示に出遭った。私は、記憶の底に、この貞子という人がかろうじて残っていたことに気づいた。逆にいうと、そのときまで完全に忘れていたのだが。佐々木貞子。2歳で被爆し、元気に暮らしていたが10歳で白血病になり死んだ女の子である。千羽鶴と病気見舞いについても、彼女が伝統の起源らしい。その短い生涯は物語りなり全世界に発信された*1。平和記念資料館では、いまも彼女の悲劇を発信しつづけている。しかし多くの日本人は、リングの貞子しか知らないのである。

*1:Sadako Sasakiで検索すると多くの言語のWikipediaが存在していることがわかる。日本語のWikipediaは見当たらなかった。私に関するくだらないWikipediaは存在するのに、伝えるべき彼女のWikipediaが日本語にはないのである(私が気づく範囲では)。