Bottomless Dream 1


こういうことを書くと、私の大学の学生/卒業生に迷惑がかるかもしれない。つまりこれはほんとうに最底辺物で、こんなにひどいのは、めったにない。あったら困るということで紹介している。自慢話というのは鼻持ちならないものだが、こういうお馬鹿物も、みんながそうかと思われて、多くの優秀な学生に迷惑をかけるかもしれないので慎むべきものだが、面白いというよりも、かなりあきれているので書くぞ。


A さま
メールありがとうございます。
目次と内容のアウトラインをもらい、
良い意味と悪い意味で、恐ろしくなりました。


1)良い意味で怖いのは


私は、あなたのほんとうの能力というか実力を知りません。
自分を基準にしたり、私がよく知っている学生などを基準にしてしか
判断できないのですが、
そうした判断に基づくと、
ベケットの3部作を全部扱うというのは、
驚異的です。


2年前くらいでしたか、ある学生が翻訳もない長編作品3部作
(全体で原書600ページくらいでしたか)を扱い卒論を書いてきました。
私の指導学生ではありませんでした。
卒論そのものもよくまとまっている。
しかし私の知る限りで、これまで翻訳もない長編作品を
卒論で扱った学生はいなかったので、
これは絶対盗作だ、いい根性をしているじゃないか
卒論の試問でとっちめてやろうと手ぐすねひいていたのですが、
指導の先生によれば、全部、ひとりで読んだ。
とても優秀な学生であるということだったので、
盗作と勘違いした私のほうが恥じ入りました。


(たしかに、
もしほんとうに盗作しようとするのなら、
研究書や解説もそろっている
有名な作品で書くはずなので、
そもそも翻訳でも読めないような
作品を扱うことはなく
考えてみれば
これを盗作と判断した私は
最初からまちがっていたのですが。)


結局、その学生は、
学生の頃の私よりも、いや、たぶんいまの私よりも
英語もよく読めて頭がいいのではないかということを
悔しいけれども認めざるを得ませんでした。
残念ながら、その学生は大学院には進学しなかったのですが、
文句なく、大学院に行ける能力をもっていました。


したがって
ベケット長編3部作(コールダー版で400ページくらいありますよね)を
すべて扱うという卒論は、
ふつうなら暴挙としかいいようがないのですが、
快挙として歓迎したい気持ちもあります。


あなたのことを、べつにみくびっていたわけではなく
通常の学生の平均値で判断していました。
で、3部作を、たとえ翻訳を頼りにしても、
ひとりで全部英語で読みきって
全部を扱う卒論を書こうというのは、
すばらしいことです。
こういう優秀な学生に
正直なところ、私が指導する必要はありません。


まあ中間報告を時々してもらえればそれでいいのですが。


ただいえることは
ジャンル意識というのは重要で、
小説だったら、私が指導するのはおかしい。
演劇も含めるということのようですが、
演劇は含めないほうがいいでしょう。
なにか短いベケットの断片的な作品を
おさめるのはへんなので。


そうなると**先生に指導教員を変えたほうがいいのですが、
いまの時点で変えるのは**先生も迷惑かもしれません。
ですから、私でがまんしてもらうしかないのかもしれませんが、
ベケットの3部作を扱えるという実力は、**先生の
高く評価すると思うので、
打診してみてもいいでしょう。
無理にとはいいませんが。


2)悪い意味で怖い
いま上記1)で書いたことは、皮肉でもなんでもなく、
ある程度まで、私の正直な感想です。


ただ、以前の私のように、
狭い経験から判断したら、
以下のように考えるでしょう。


ベケットの長編3部作を全部扱うというのは、
たぶん英文科の歴史はじまって以来のことです。


翻訳でも読んでも、またましてや英語で読んでも、
何が書いてあるかわからない、
普通の学生なら面白いとも思わない
そんな作品で卒論が書けるわけがない。


先ほどあげた学生は600ページを越える
大長編小説を英語でこつこつ読んで
卒論を書いたのですが、
しかし、それは癖のある、けっこうむつかしい英語で書かれているのだけど、
普通の小説でもあるので、
がんばれば(ものすごくがんばれば)
読めないこともない。


しかしベケットの小説400ページというのは、
通常の小説の1200ページくらいに相当します。
いえ量ではなくて、質の問題があります。
難解なのです。


まずほんとうに読めるかどうか疑問。
英文科のレヴェルではベケット三部作が読めるまでの
実力は養成していない。


まさか作品を読まずに書こうとしてはいないでしょうね。


卒論は、高校生が百科事典かなにかを丸写しにしながら仕上げる
レポートとはわけがちがいますよ。


あなた自身で作品と格闘して、
自分なりに何かを発見する(大発見でなくていいのですが)
そして自分なりに洞察なり判断を示す、
それが卒論です。


作品の解説ではありません。作品を論ずるのです。
ベケット3部作で、それをする能力が、あなたにあるのですか。
****


とここまで二つの感想というか、反応を書いてきました。


実は、1)についても、私はほんとうにそこで書いたことを
信じているかというと嘘です。
しかし、2)が私の本心かというと、それも嘘です。
あなたのことを、ここまで信じてないないわけではありません。


ただいただいた目次をみてみると、
各章に作品名が書いてあるだけで、
なにか明確なテーマがあるようにも
思えない。
もちろん、あなたが超優秀な学生である可能性はあるし、
私は奇跡はあってもいいとほんとうに思っているのですが、
ただたとえそうでなくても、
ベケットを、それなりに面白く読んだというのは
すばらしい。
その意識というか姿勢は大事にしたい。


ということで、
3部作を扱うなら、一作品で10ページくらいというのは、
その難解な作品を読みきった努力に見合いませんから、
一作品30ページ。三部作全体で100ページ書いたほうがいい。


たんなる解説だったら、盗作とみなされます。実際に、そっくりそのまま
もってこなくても、他人の意見と評価を書いただけでは、
盗作とまったく同じですよ。


で、まあ一作品を選んで、30ページで書いたらどうですか。
それでもベケットの長編で書いたというのは
英文科始まって以来の快挙です。
皮肉ではありません。
嬉しいことです。


とにかく一作品のどういうところに着目し、
どういうことを論じたいのかを
考えて目次をつくってください。
3章か4章構成でじゅうぶんです。


(あと、これは、あなたがそうだということでは
絶対になく、参考までに、これまであったことを。


以前、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』で卒論を
書いた学生がいました*1
その卒論のなかでシェイクスピアの作品では『ロミオとジュリエット』よりも
アントニークレオパトラ』のほうが優れていると
書いてあったので(そういう判断をしてもいいのですが)、
どうして、そう思いますかと卒論の口頭試問で質問しました。
べつに責めているわけでもなんでもなく、
素朴な質問として。
すると『アントニークレオパトラ』は読んでいないと
その学生は答えるのです(原文で読まなくても
翻訳で読んでもいいわけですが)。
だったら、どうして読んでもいない作品と
ロミオとジュリエット』を比べることができるのですかと
つっこんだところ、
そういうふうに本に書いてあったというのです。
だったら、どこどこの本に書いてあったと
明記すべきで、それがなかったら
自分の意見となってしまいます。
そして自分の意見には責任をもたないといけない。


いいですか、ここで問題なのは、
べつに『ロミオとジュリエット』が駄作だと判断してもいいのです。
個人的意見を責めることはできません。
ただ他人の意見、本に書いてあることを、無責任に
丸写しではなくても、丸呑みにすることが問題だということです。


その学生に対しては、卒論として認めるな、却下しろ、
書き直させろと、他の先生が言ったのですが、
指導教官の私が、頭を下げて、そのまま卒業させました。
ただ、その時、私は甘すぎたと反省し、
以後、こういうことがないように
厳しくではないのですが、
責任あるかたちで自分の卒論を書いてもらうように
指導はしています。)


閑話休題


で、とにかく
ベケットの長編三部作なら三部作、どれかひとつを選んで
書いてください。
書きながら、他の二作品について触れるのは
問題ありません。またそのほうが望ましいでしょう。


ただしどうしても三部作というのでしたら、
再度、
目次を、もう少し練ったかたちで
提出してください。


卒業できるように、最後まで面倒はみますから、
安心してください。

*1:これは私が経験した学生の中で最底辺の学生で、こういう学生は本当に例外的であったことは明記しておきたい。