Bottomless Dream 2


再び最底辺物。大学院編。
こういうことを書くと、まじめな学生、優秀な学生の名誉を汚すようなきがするのだが、事実、汚しているとは思うのだが、例外的な状況は、私をいらだたせていると同時に、面白ことでもあるかもしれないので、ここに掲載する。
あくまでも例外的状況である。


私はこういうメール/手紙を送ったのは、生まれてはじめてである。
こんなことが多発していたら私は発狂する。


B さま
C さま


おふたりから本日
メールをいただきました。


A 重大事故?
まず確認ですが、
私はこれまで数度にわたってメールを送りました。
この日曜日/月曜日にも送りました。
本日、ふたりからいただいたメールでは
事情がありメールをチェックしていないということでした。
では、なぜ偶然にも本日メールがくるのでしょうか。


これまでこちらが院生に報告を何度も求めても
なにも返事が来なかったのは、
私の教員生活ではじめてのことです。
こちらから出したメールは戻ってきませんから、
まちがったアドレスに出したわけではありません。


可能性としては
1)ほとんど使っていないアドレスに送り続けた。


2)迷惑メールに間違えられて自動的に受信拒否にされた


3)こちらのコンピュータが故障して届いていなかった。
(ただし現在のところメール送受信機能に関して
二人以外に出しているメールには不都合は生じていません)


4)そちらのコンピュータが故障していた。
故障していた期間を教えてください。


この4つの可能性は、どれも重大なアクシデントなので、
早急に解決しておかねばなりません。
理由を知らせてください。


なお上記の理由以外だったら、
当然それも知らせてください。
本日返事があったのは、
研究室からメールがあったからではないですか。
もしそうなら、研究室からのメールはチェックして
指導教員からのメールに答えられないというのは
どういう理由なのか、答えてください。


そもそも、
こちらからのメールは
報告を求めているだけで
追い詰めているとか、非難しているとか、
借金を払えとか、そういう類の
メールではないですよ。


修論について、準備状況を報告するだけのことです。
準備ができていないとか、
修論をやめますという報告でもかまいません
報告はもう少し待ってくれということでも
かまいません。
それすら返事がなかったというのは
どういうことなのか
ほんとうに理解できません。


ただこれは、こちらのメールが届いているにもかかわらず
無視されたということを前提としているだけで
実際に、上記4つの理由以外にも、
理由があって、こちらからのメールに目を通していなかったと
思いますから
あるいはコンピュータが壊れたというのは
よくあることですから(実際に故障をなおしたり、買い換えたりするのは
けっこう時間もかかりますから)
いくらなんでも
私のメールが迷惑メールなみにゴミ箱に捨てられているとは思いませんが、
今後の連絡についても支障をきたさないように、
明確な説明を求めます。


アクシデント(ならば理解できます)
あるいは意図的なもの(ならば理解不可能)
いずれにせよ、ふたりの現状がわからないので、
他の院生への指導や研究の計画がたたないまま
1ヶ月が過ぎました。


修論を書かないのなら、
来年度、提出へ向けて
じっくり腰をすえて準備をすべきであり、
その場合、


1)私や他の院生も、修論の準備に関係するような
研究会なり読書会を組織して、支援することもできます。
またそれは、私にとっても、他の院生にとっても
有意義なことです。


2)自分のペースで準備したいというのでしたら、
もちろんそれでもかまいません。
ただその場合、私がある程度、ペースメーカーとなります。
私に定期的に報告することで
準備を計画的にすすめられると思います。
もちろん、それも面倒なら、無理とはいいません。
またその場合、他の院生とは、べつの内容の研究会なり
読書会をします。


ということですので、
明確な説明を求めます。


なおこれからはこちらかのメールには
必ず三日以内に返事をください。


後日談


11月3日


ふたりが同時にメールをよこしたのは、同じ日に、博士課程の院生が、ふたりに、私に連絡をとるように、伝えてくれたからであった。それも他の院生がいる前で。しっかりと。


Bさんとは、修士論文指導を再開している。


Cさんとは、三日以内に返事をせよというのに、今現在、返事はない。大学には来ているらしい。

後日談2

11月8日
その後Cさんからも連絡があった。
コンピュータの故障とともに、
発明に没頭していて、
実用新案特許を申請しているとのことだった。
発明品は、***ブラシ。
それから釣りで使うルアーもいくつか作っていたとのこと。
……